フラッシュ法による採掘
トラピスチヌ修道院付近から松倉川に沿って遡る。
路はすぐにダートとなり、三森町付近で一車線となる。
この先が亀田鉱山であるが、今回はさらに進む。
林道脇には「三盛神社」の石碑があるが、
既に廃墟と化し、社や本殿、鳥居もない。
鉱山時代は200人以上が暮らしていたその遺構の一部かもしれない。
そろそろ入山口近郊で棄てられた廃バスである。
ここまでよく入れたものだ。
蔦が絡み自然の猛威に晒されている。
何の変哲もない林道脇が入山口である。
かつては鉱山道路が整備されていたが、
今はもうその痕跡もない。
ミズバショウの群落のある湿地帯から入山する。
鉱床図から精錬所などをGPSにプロットし、
その方角へ道なき山中を進む。
すこし進むと煉瓦製の構造物がある。
これは精錬関係の廃祉だろう。
鉱山道路は既に廃道と化しているものの、この方向で間違いないらしい。
どうやらこれが鉱山道路のなれの果てらしい。
辛うじて道に見えないこともないが、
まずは本道に頼ることなく進んでみよう。
付近には疎らに煉瓦が散らばる。
人跡未開の山道に残存する煉瓦は、
何を語るのだろう。
笹薮を漕いで上段に登ると、植生の斑な一角に出た。
ここはどうやら精錬か精製工程の施設跡らしい。
かなり広範囲に開けている。
奥には築堤と切通の跡がある。
ナローゲージの軌道があったようだ。
残念ながらレイル等は発見できなかった。
奥には白い小丘が見える。
あれは紛れもなくズリ山だろう。
ようやく確信的な風景に出会えた。
足元には煉瓦の遺構だ。
付近の鉱山はサカサ川を挟んで相対し、
焼取釜8基での精錬を行い、年間5,000tの出鉱を記録した。
建物の基台跡である。
昭和25年からは輸送道路の整備、社宅、元山事務所の建設が進み、
焼取釜3基も増設された。
ズリ山に登ってみる。
メインである大切坑は坑道掘進600mに及び、
その規模は道内でも屈指であったというが、今回発見には至らなかった。
ここが製錬所の中心部らしい。
分析した鉱石の成分は珪酸分(Sio2)に富み、
蚕白石が隙間を満たすことで、緻密な鉱石の産出に一躍買ったこととなる。
煉瓦に刻印された「SHINAGAWA」の文字。
明治8年に創業した品川白煉瓦(株)製のもので、
輸入品に劣らぬ堪火煉化石−耐火煉瓦を製造したその証だ。
分散するレンガたち。
現在の品川リフラクトリーズ(株)の礎を築いた、かつての産業遺産である。
貴社製品で間違いないものの詳細は不明、
各種熔炉の内張りとして使われ、国内外の様々な産業遺構から出土しているとのこと。
付近に残存する鋳型壺である。
焼取釜は給炭口から薪をくべ、地下の炎道上に壺を並べて、
中の鉱石を煮るのである。
鉱石は山元で精練され塊状硫黄となるが、
釜の寿命は硫化鉄の付着のため、
1年位でありその需要量は莫大であったようだ。
今回は品川リフラクトリーズ(株)より情報提供頂き、この場を借りて御礼申し上げます。
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