八雲・大江・稲倉石を凌ぐ




五月晴れの早朝、谷に入る。足元にはヒグマの痕跡。
今回は熊鈴、ホイッスルに追加して、
ラジオを鳴らしての探索だ。 廃道

川沿いにはすぐに石垣の遺構と、
その上にはRC造の塀である。
あれは浮選に関わる貯水の関係だろうか。 石垣

これは規模からいって沈殿池のようだ。
浮選原鉱に送られ、分級機から溢れ出た鉱泥を流下したのだろう。
かなりの規模だ。 沈殿池

川を跨ぐアバット(橋台)跡だ。
鉱山道路はすでにその痕跡を隠しているが、
かつては木炭トラックが往来していた様でその道路跡のようだ。 橋台



森の斜面には給水設備の廃墟がある。
付近は熊笹に覆われ、
GPSに頼っての探索だ。 給水設備



碍子のついたトランスが落下している。
電力を消費する設備があった証だ。
更に上流を目指す。 トランス



腐食激しいストーブの廃祉。
付近は豪雪地帯で、冬季は-20℃以下にもなる。
ここからは標高を上げていく。 ストーブ


藪に埋もれて坑車が朽ちている。
坑内作業に入る狭軌の人車軌道だ。
バッテリーロコ(機関車)に引かれて走っていたのだろう。 坑車


レイルも残存している。
SGPの60A程度の配管も落ちている。
以後これらの残留物が続く。 レール


機能していない電柱が続く。
このような探索時にはレイル、配管、電柱を追うのがある意味鉄則だ。
それらを追った先には・・・。 電柱


巨大な焙焼炉の廃墟だ。
これはかなりの大形物件だ。
石垣の体躯も立派だ。 焙焼炉


3か所の穴は薪をくべる部分だ。
年間の薪使用量は95,400石(石(コク)=180L)に及んだ。
ということはその上部に・・・。 薪


円錐の上屋部分が見える。
これは紛れもなく昭和24年造の焙焼炉だ。
上部を確認してみよう。 焙焼炉


煉瓦の円柱部分に対して円錐部分はコンクリート製だ。
しかも蔦が巻いて、異様な光景だ。
穴が開いている。 上屋


マンガンの投入部分である。
その処理能力は24時間で30tであった。
選鉱が60t/日だったので、その50%の能力であった。 煉瓦


そびえる上屋部分。
60年間ここに存在し続けているのだ。
太い蔦がすごい迫力だ。 帽子


円錐部分は2基が倒れ、2基が残存している。
資料では年度を跨いで8基にまで増設されたようだ。
前述の生産能力の平準化を図ったのだろう。 焙焼炉


少し登攀するとプーリーのような部材が落ちている。
スラスト方向の軸が長いのには意味がありそうだ。
遺構を追って更に登る。 プーリー


廃墟と化した電柱に残るヒグマの爪痕。
ここは完全にヒグマのテリトリーだ。
無用な遭遇を避けるため、ホイッスルも吹きながら歩く。 羆


砂防ダムに残る架空索道の搬器(ゴンドラ)だ。
玉村式単線の索道は、
10t/時という能力であった。 搬器


斜面に残る石垣である。
おそらく付近の直上に施設があるようだ。、
ここからは一気に標高を稼ぐこととなる。 石垣


急激な斜面に残る索道か巻揚げ機の中間設備のようだ。
採掘の中心部は海抜210〜310mとされている。
重機械の搬入も容易ではなかっただろう。 索道


道なき斜面は絶壁のようだ。
休憩もできない急坂ですでに沢も見えない。
途中にはキトピロ(=アイヌネギ)の群生があり少し頂いた。 斜面


斜面にもレールが残る。
インクラインなどではなく、
単純に上部から崩れてきたものだろう。 レール


木々に絡むリンクのような部材。
頂上までもう一息だ。
遺構が語るその頂上の風景は・・・。 リンク


現れたのはなんと木造の二酸化比重選鉱所の廃墟。
ここでは優先浮選にて磨鉱から硫化鉄を取り除く。
RC製の選鉱所はよくあるが木造は大変貴重だ。 精錬所


丸太が組まれたトロンメル付近。
一次破砕した鉱石をここで30mmを境に篩別するのだ。
積年の豪雪によく耐えたものだ。 精錬所


上部のグリズリー付近へ登る。
クラッシャーにて50mm以下に砕かれた鉱石は、
下部に流される。 選鉱所


最上段の受け入れグリズリー付近は荒廃が激しく、
原型を留めていない。
土台はやはりRC製だ。 選鉱


付近には煉瓦製の構造物がある。
すべては昭和25年頃の遺構だ。
更に標高レベルを保って北を目指す。 煉瓦


足元には軌道敷である。
ゲージは「ニブロク」と言われる762mmのようだ。
手選の精鉱やズリを運び出したのだろうか。 レール


狭軌を追って廃道を遡る。
選鉱所から200m付近で何か見える。
この先にあるものは地質図に記載されている。 軌道


現れたのは通洞坑の廃墟だ。
しかも2連並列だ。
この角度は凄い。 通洞坑


向かって右側の坑口は脇に電柱が残存する。
銘板は既になく、
蓄電池式機関車の導入歴も記録にある。 坑口


坑口の土嚢を超えて内部を確認すると、
そこは右に大きくカーブしている。
バケットローダーなどの運搬施設の合理化は十分進んでいたようだ。 坑道内


向かって左側の坑口は横の石垣に隣接し、
さらに埋没は激しい。
かつては鉱車が行きかっていたのだろう。 若竹坑


こちらは少し入坑してみよう。
坑内面はRC製で左右の断面が異なる珍しい形状だ。
水没した坑内は30mほどで密閉されている。 坑道


重厚な石垣を巻く。
あとは架空索道の探索だ。
索道は地形に沿わないので発見が困難な場合が大きい。 石垣


やや登攀し巨大なプーリーを発見した。
ワイヤを繋ぐ回転部分だ。
直径はφ1000もありそうな鋳物だ。 プーリー


その先には鋼製の構造物がある。
谷面には回転部分がある。
あれは索道の中間設備ではないだろうか。 索道


H鋼、みぞ形鋼、等辺山形鋼で組まれた架空索道の中間駅だ。
斜面の突出した部分にプーリーを介して、
搬器をぶら下げたワイヤーを通したのだ。 架空索道


単胴式巻上げ機の廃墟だ。
補助的に索道に動力を与えていたのだ。
更に上層部には複胴の巻揚げ機があったのかもしれない。 架空索道


遺構は更に上部へ続く。
かつては300人以上が労務し、
諸種の施設がなされ、未開発の地帯唯一の人文景観だったという。 遺構







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坑口
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