夕張新第二炭鉱跡 斜坑 探検: 北の細道 夕張新第二炭鉱

夕張新第二炭鉱で密封斜坑を見る




北海道夕張市

  当初、各礦坑口は類似の名称が多かった。
大正7年7月、煩雑化を避けるため、各炭鉱ごとに統一改称を行うこととなった。
新夕張礦は「松島」「橋立」などの三景名、真谷地礦は「榊」「桂」などの樹木名、
平和礦は神名社、そして幌内礦に至っては滝名と、
それぞれ水に関係した名称に改めた。

今回、探訪の夕張礦も例外なく「最上」「北上」などの河川名に改称され、
少しでもガス爆発や自然発火などのリスクを避ける
願いが込められたことが根底にある。


明治21年に付近で炭層が発見され、以来、80年間採炭を続けたが、
経済炭枯渇のため、昭和46年に終掘する。
その後、昭和48年に別層の開発目的に再び採炭されたが、
再び昭和52年、閉山を迎える。

歴史村以北の千才坑、長良坑ではなく今回は東部の山中に分け入る。
その中で発見した連絡隧道は意外な場所に出てしまうという、
予想外の結末であった。









斜坑・遊園地廃墟・連絡隧道・・・


千才坑
( ̄u ̄;)千才坑



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