ゴールドラッシュがもたらしたもの




人も稀な山間の僻地に突如、有用な砂金鉱床が発見され、
オホーツクの小さな農村は全国から集まる数万人の採取者と、
それら人々の生活物資などの集積基地となったが、今は牧歌的な静かな街だ。 浜頓別町

宇曽丹川に沿って林道を登る。
開けた谷間の明るい道だ。
かつての砂金採取地を遡る。 林道

まだまだウソタンナイ川の水流は激しい。
ここから鉱山跡までは約10km。
そのあたりでは小さな小川と化しているだろう。 ウソタンナイ川

上流に近づくとミズバショウの群落が彼方此方にある。
河原を少し歩いてみる。
ウソタンナイ川はかなりか細くなったが。 水芭蕉

そこには石垣とダムのような池、そして本流から隔てられた水流がある。
これは砂金採取の際の「桶流し方」の跡だ。
明治33年に米国から伝わったスライスボックス法は、
水路で桶に水流を導き、桟から比重差を利用して有用な砂礫を採取する、組織的な砂金採取に適した方法だ。 桶流し

ここから徒歩で山中に分け入る。
一部、保存が進められているようだ。
今回、詳しい資料が手元に無いがまずは廃坑跡に進んでみよう。 鉱山跡


徒歩道沿いに最初の遺構が現れた。
ブロックで積まれた壁のような廃祉だ。
鉱山跡の中心部に来たようだ。 遺構


ウソタンナイ川の最上流域だ。
ほとんど跨げるほどの川幅で、
この対岸にも遺構がありそうだ。 ウソタンナイ川上流



すぐ先には昭和10年頃に利用された飯場の跡があった。
当時は冬季間も下山せずに、ここで一冬暮らしたそうだ。
石垣と何かの土台のようなものがある。 飯場


土台のように見えたのはかまどの跡だ。
資料よると詰めていた坑員は若者が多く、
冬季も朗らかに暮らしていたそうだ。 かまど


その先には「金山神社」との跡がある。
しかしながら鳥居も社務所も無い。
明治45年に建立されたが、当時から鳥居も社もなく一般の神社とは異なる質素なものだった。 神社


鉱山跡の中心部を歩く。
木々が疎らで、
明らかに人工的な森だ。 鉱山跡


ここは土俵跡であるらしい。
当時の坑員たちが、親睦を深めるために利用したのだろうか。
今は見る影もない。 土俵


この激藪がかつての社宅跡だ。
冬の間、それでも楽しく過ごしたという。
ゴールドラッシュの夢のあとなのだろうか。 社宅跡









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竈
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