笹薮を越えて暗い坑口へ


紋別市はオホーツク海沿岸のほぼ中央に位置し、
東洋一と言われた鴻之舞金山が昭和48年に閉山したものの、重要港湾に指定された紋別港は
ロシアとの海産物貿易の商港として賑わい、酪農と流氷観光も活発な
オホーツクの中心的都市である。



平成元年まで沼の上にはかつて名寄本線が走っていた。
長大路線であったが、惜しまれつつ廃線となった。
現在でも、駅の跡が静かに保存されている。 沼の上駅跡

踏み切り跡゙ 道路には踏み切り跡も残る。
ここから山中へ向かう。


直線゙ 海からはひたすら直線で山へ向かう。
周囲には牧場が続く。




しばらく登ると「沼の上 簡易水道 浄水場」があった。
これを超えると近代的な施設は皆無となる。


サイロ

ラップサイロが主流となった今、

開拓農家のレンガ製のサイロは貴重な存在だ。
住居が消滅しても、丈夫なサイロだけはいつまでも残存する。

水源

ここから道はダートとなり、
水源地であるが故の注意事項が掲げてある。


ダート

林道を遡る。

相変わらず直線が続く。

林道

シブノツナイ川に沿って約12km。
林道は続く。

「危あぶない険」。

志文鉱山川

砂防ダムにはよくある看板だ。
ここからは志文鉱山川に沿って遡る。
いかにもの名称の河川だ。

分岐だ。

分岐

上の道に進みそうになるが、
本道は下だ。上はいかにも後付けの造林道だ。



砂防ダム

砂防ダムの脇を歩く。
山深いが昭和38年製のダムがある。

歩行

ここから志文鉱山川の上流を目指す。
またもや周囲数キロは無人かもしれない。

志文鉱山川を遡る。

探索

川は赤く、泥寧地だ。
すぐ奥から熊笹の激藪となっている。


鉱山川

赤い川が続く。ヒューム管が現れた。

地形図ではこの先で突然川が現れている。

水没しつつ、川を遡る。

水没

いよいよ鉱山に近づいた感はある。


ヒューム管

河床は赤く、いかにも鉱山の川だ。
激藪か水没かの選択になる。



少し開けた場所に出た。
ヒューム管が棄てられ、荒れた平場だ。
そろそろ目的地かもしれない。


河原には油分が浮いている。

油

鉱水には何かが混ざっているのだろうか。
黒い泥も珍しい。


坑口

見上げると川の先に突然坑口が現れた。
川の始まりは棄てられた坑口であった。


坑道

最後のガレ場を登り、
坑口に近づく。
赤いゲートも見える。


坑口跡

削られた岩肌に突然開いた坑口。
鉱水が流れ出している。


入坑

暗い穴に入坑してみよう。
落石も頻発しているようだ。






坑内はどうなっているのか。


坑内

坑内はに入ると、すぐに激しく水没している。
鉱水は澄んでいるが、深い・・・。


支保工

膝下まで水没し、進めるだけ進むと、
そこには支保工があり、削られた岩肌が見える。


坑口の下流には火薬庫が残存する。
鉄筋コンクリート(RC)造の場合は厚さ10p以上、コンクリートブロック造の場合は12p以上、
これが火薬類取締法における火薬類取締法施行規則による規定だ。 火薬庫

土堤の堤脚の土留めを挟んで上流に存在する第二の火薬庫。
小型で状態は悪い。
火薬庫には避雷設備の規定もあったが、ここには無いようだ。 火薬庫

更に上流に存在する第三の火薬庫。
層になったRC造だ。
このような防爆壁は縦横に鉄筋が配置されている。 火薬庫

内部には焦げた跡がある。
内部の主筋の断面積の和や、
鉄筋間隔においても規定がある。 火薬庫

鉱山跡 border=


再び志文鉱山川に沿って下った。
なかなかアプローチに苦労する探索であった。



火薬庫の調査に至っては読者K様より情報を頂きました。
この場をお借りして、お礼申し上げます。


沼の上鉱山へ

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坑口
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