塩水を鎮める砦
アプローチは一本の林道からとなる。
今回は道有林の入山許可を得ての探索となる。
付近はヘリコプターによる野ネズミ防除剤散布が行われる。
入林時期を検討しての入山となる。
林道から離れてまずは牡丹坑の探索だ。
大正2年(1913)当時の坑口は福寿坑、薫坑、
橘坑、桔梗坑、葵坑、そして牡丹坑であった。
そして到達したのがレンガの坑口、牡丹坑だ。
大正期の遺構、坑口自体がかなり埋没している。
坑道内部もすぐに埋没している。
大正6年(1917)には桜坑、五月坑、紅葉坑が加わり、
合計九坑に達した。
山中を更にしばらく進むと広大な平場がある。
橘坑跡に到達だ。
坑門が吐出した形状の坑口と、
巻上機か扇風機の台座が繋がる。
昭和34年10月27日に新斜坑での湧水が増水、
一昼夜でポンプが、そして3日間で上部の坑道まで水没した。
湧水を北大で分析すると、
以前から流れる登川層の含水が地表水と混水して旧坑部に溜まり、
これが出水したものであることが分かった。
坑門には『橘排気風洞坑口』のペイントが残る。
坑口は鉄筋で閉鎖してある。
水没した該当坑道は採炭不能となり、
夕張方向への採掘区域の拡大を行った。
1m3/分の揚水とその為の1,500mに及ぶ坑道維持は採掘原価に影響が大きかった。
そのため炭層の貧化した場所に坑内防水ダムを造り、
そこから排水を行うことで採炭区域を守る計画が立てられた。
脇にはメンテナンス用の人道斜坑か添坑道がある。
排気用のファンや電動機の基礎が残る。
塩分濃度の濃い湧水に対し、コンクリート強度の安全率を多くとり、
ダム構築位置についても種々の検討がなされた。
ダム設置位置の岩石の強度も多角的に検証された。
北大工学部採鉱學実験室において直径40mmの円筒形に形成したコア試験片を
機械的に圧縮したり引っ張ったりしてその強度を検証したのだ。
ダム設置位置の坑道は内部周囲をコンクリートでライニング(保護コーティング)施工し、
内径4mの坑道内に31mの区間に渡ってグラウト工事(流動性の高い材料を注入する工事)を施工した。
これにより隙間を埋めて強度を高めることで坑内ダムを建設したのである。
しかしながら昭和50年(1975)には採掘直後に坑内出水し、
塩分を含んだ水は電装部品の絶縁を劣化させやがて排水に支障が発生する。
やがて二連斜坑は満水となり半年間の排水を続けたが、
水位低下には至らず翌年閉山を迎える。
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