鐘打鉱山跡 探検: 北の細道 鐘打鉱山跡

鐘打鉱山に潜む狼は錫を選ばず


 鉱山に関する地名には単なる符号でなく、深い謎かけが潜んでいる場合がある。
例えば信州の金桜という地名は金さくり(探し)の意味を含むと言われる。
また、山伏が砂金を収めた竹筒がサッササッサと鳴ったから、『ささ』は『黄金』の意であるとされる。
そして小栗(ささぐり)・小波(さざなみ)・小竹(ささだけ)などの地名は、
すべて砂金のとれる場所を示している。
ということは佐々連鉱山、笹谷鉱山、細倉鉱山も『ささ』に関連しているのかもしれない。

また『金』のつく地名には金山 彦命(かなやま ひこのみこと)を奉る神社が存在し、
金鉱山が繁栄していた可能性が高い。
金井の「井」は竪坑、金屋の「屋」は製錬所、金「谷」は鉱石が取れる谷、
金「城」や「輪」「丸」は縄張り、つまり鉱区の意味だと解析する論文もある。


鐘打鉱山の鉱床の発見は未詳、大正10年に重石(タングステン)鉱開発のために
藤野鉱業株式会社として採掘した。
昭和17年(1942)海軍の援助により日南鉱業株式会社が引き継ぎ大々的に開発を行った。
やがて昭和19年(1944)には精鉱200tを産出した。
終戦後、一時的に休山したが、昭和23年には日本タングステン鉱業株式会社が譲り受け、
昭和26年(1951)より日本鉱業株式会社と共同出資し、鐘打鉱業株式会社が設立された。

しかし昭和33年(1958)には日本鉱業株式会社の傘下となり
その系列会社のまま昭和57年(1982)に61年目にして閉山した。

鐘打鉱山
当時の鐘打鉱山

タングステンは熱に強く(鉄は1500℃/タングステンは3880℃)硬い、そして鉄の2.5倍重い。
用途は金属を削る切削工具、電気伝導性が高いため医療器具の電極、
エンジンのバランスウエイトや防弾車両、溶接機の電極などに利用される。

今回は京都郊外に存在した日本でも有数のタングステン鉱山跡の探索だ。
鋭く、重く、鈍く光るタングステンもまた歴史に翻弄された鉱物だ。
産業の夢と資源の欲望とが交錯した鉱山跡を、
時間の縫い目をなぞるように探索したいと思う。


製錬所・試薬・坑道・・・



坑道
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