静かな闇の道標なき岐路
深い山中に位置する大きな坑口。
深く急角度なため、懸垂下降にて下る。
坑口を下るとテラスがあり、
そこからは坑木の残る水平坑が伸びている。
付近の天盤(坑道の天井)には鍾乳石がある。
鍾乳石は二酸化炭素を吸収して弱酸性となった雨水が、
地表に浸透しつつ石灰岩を溶かしながら染み出すことで生成する。
坑道内にしみ出した雨水が、
空気中に二酸化炭素を放出すると炭酸カルシウムが析出し、
少しずつ結晶化することで鍾乳石となる。
鍾乳石の成長速度は非常に遅く、
1cm成長するのに、
30〜100年かかると言われている。
坑道はさらに続く。
一般に坑内は地下に下るに従い湧水が増加する。
排水は疏水坑道と呼ばれる排水専用坑道から自然排水される。
ある基準を超えて、坑道内に水没の危険が及ぶ場合は、
坑内ポンプによる揚水が必要となる。
坑内湧水量は場所と時期によって大きく変わり、
昭和10年の梅雨の時期に三池炭鉱では、
200m3/minという夥しい湧出量の坑内水があった。
炭労ストなどが発生した際、坑内保安のポンプ要員までもが撤退した場合、
1日に満たず坑内は完全水没の危惧があり、
保安要員のスト引き揚げ問題が真剣に議論されたという。
『詰め』と呼ばれる掘削が終了した端部には、
コウモリが鈴なりでいる。
キクガシラコウモリだろうか。
コウモリは秋の交尾後冬眠に入り、
受精後に胚が子宮内に留まり、着床を数ヶ月遅らせることとなる。
冬眠中の子宮内に留まった受精卵は、
春の覚醒後、ホルモンの変化により着床が始まり、胎児の発育が進行する。
この『着床遅延』により出産が気温や餌の豊富な時期に合わせられるため、
子供の生存率を高めることができる自然の摂理なのだ。
迷路のように複雑な坑道分岐が多数ある。
迷わないためには高い空間認識力の必要がある。
これはたとえば立体の展開図が想像できるとか、動くものの軌道を予想したりする能力だ。
分岐を右手に進むと剥がされた枕木の痕跡がある。
恐らくこの坑道には軌道が敷設してあったのだ。
酸素濃度は20%、
外部より1%減少しているが18%までは問題がない。
足元が水没してきた。
坑内水が冷水ではなく温泉水の場合もある。
常磐炭鉱、土肥金山では多量の温泉水が湧出し、
その温度と湿度で稼働に悪影響が出たという。
坑内の温度は夏と冬でも坑外ほどの温度差は発生しない。
つまり坑内の空気は夏は坑外より重く、冬は軽い。
よって山岳地の坑道では夏は上部の坑道から下部に流れ、冬は逆となる。
文献によると地下は平均33mごとに1℃温度が上昇すると言われている。
この坑内温度上昇を抑制するためには自然通気では間に合わず、
人工的に大馬力の扇風機を使用して通気を行うのである。
英国の調査では28.8〜54.7mごとに1℃の温度上昇、
日本では30.7〜35.7mごとに1℃の温度上昇という研究結果がある。
かつての某金山では坑内温度50℃という記録もある。
坑内作業は極限にして苛烈、蒸気と熱気が満ち、湿度は100%を優に超える。
特に蒸気ポンプの操作を担ったポンプ夫は、過酷な環境下でもその任務を黙々と果たした。
彼らの存在は鉱山稼働の要であり、地下空間の循環を支える無名の英雄であった。
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