選鉱所の痕跡
岩手県北上山地周辺は古来から産金地帯として繁栄してきた。
高峰鉱山は標高約600mの高地に位置している。
旧JR岩見線の浅内駅舎である。
昭和32年(1957)に開業、
当時は小本線の終着駅としてにぎわった。
当時の駅周辺には食堂や旅館などが犇めき、
街として繁栄していた。
蒸気機関車時代の給水塔が残る。
平成22年(2010)の土砂災害で岩泉線は不通となり、
4年後に廃止された。
岩泉線の橋梁も色濃く残る。
岩泉線は38.4km、茂市から岩泉間に9駅が存在した。
山中には周辺に民家もない『押角駅』が存在した。
マウスon 押角駅
入山ポイントは標高370m付近となる。
白沢に沿って登るとご覧の鉱山道路となる。
鉱山道路に沿って進むと数か所の平場がある。
鉱業権者は何度も変格していたようだ。
鉱山道路はいよいよ廃道となる。
最盛期は昭和33年、遺構を探して歩く。
やがて山中に人工物が現れる。
ここが選鉱所付近かもしれない。
遺構は鋼製の搗鉱機のようだ。
鉱石を叩いて砕く破砕装置だ。
その先にはコンクリート製の基礎と、
多数のアンカーボルトが残る。
製錬所跡に到達だ。
山中の一画にコンクリート製の遺構だけが残る。
金の品位は10〜80g/tで高品位部は300g/tにも達したと言われる。
付近の金掘沢が洪水の際には、
大きな石塊に5.6粒の金粒が付着しており、
これは肉眼でも確認できたらしい。
付近には平場も残る。
更に遺構を求めて登る。
上流へ向かうと石垣と巨大なカスケードが現れる。
これは沈殿池のようだ。
昭和15年には興亜産業(株)が買収、
ラサ工業(株)宮古製錬所に
金9,077g、銀2,186gの売鉱実績を上げている。
その後、昭和33年に高峰鉱業(株)が設立、
コンプレッサーや搗鉱機などを設備して
水銀を用いたアマルガム製錬を行い約20名の従業員で事業を拡張した。
当時の出鉱量は20t/月(金70g/t)であった。
その後製錬は中止され、ラサ工業(株)宮古製錬所に売鉱していた。
最上流域に到達したが鉱山遺構は見られない。
付近には摩鉱に使用した石臼の破片が散らばっていたというが、
その痕跡はない。
石臼の存在は掘削が露頭から坑道下位の含金褐鉄鋼部へ移行し、
摩鉱作業が追加されたことを意味する。
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