高峰鉱山跡 探検: 北の細道 高峰鉱山跡

高峰鉱山で石臼を探す



岩手県岩泉町


 過去の金山では石臼を利用して金鉱石の粉砕を行った。
砕鉱石臼は直径60〜75cm、高さ40cm、上下の石の接地面には穀類用と同じく目(溝)が切ってある。
中央に棒穴があり、上臼の棒穴は大きくそこから粗割した鉱石を挿入する。
石の回転は当初人力、やがて水力が利用された。

石臼
石臼

石臼で引いた細粉は水中で金粉だけを集め、それを坩堝(るつぼ)で溶かして金塊とした。

石臼の上の石は雄臼とも呼び、英語ではランナー(動くものの意)と呼ばれる。
下臼は雌臼ともいい英語ではベッドストーン(底石)と呼ぶ。
それぞれのあたり面に溝が切ってあり主溝は45度ごとに重なり、上下の副溝は交差し重なることはない。

石臼
石臼の構造

上下臼は周縁部で密着しているが、中心部にはわずかに隙間がある。
この隙間は『ふくみ』と呼ばれ、このふくみが狭すぎると転がり込んだ粒が無理に入り込んでコロの役目をし、
上臼を持ち上げて効果が薄れることとなる。
つまり『ふくみ』のスキマの精度が石臼の能力を左右する。

上下の溝は斜め外に粒を押し出す効果があり、これにより臼の外周に粉化した粒は押し出される。
また通気の作用で石臼の温度上昇の防止にも一役を買っている。


岩手県北上山地の産金地帯に存在した高峰鉱山は、
発見年は定かではないが、約360年前にはすでに稼行されていたと言われる。
昭和8年に旧坑が発見され探鉱と休山が繰り返された。
昭和15年には興亜産業(株)が買収、
昭和16年に帝国鉱業開発(株)の所有となり、18年の金山整備まで操業された。
その後、昭和33年に高峰鉱業(株)が設立。
金鉱の製錬作業も行われたが、やがて昭和38年に休山した。

多嘉峰金山と呼ばれた時代があり、当時は摩鉱に使用した石臼の破片が散在し、
露天掘りや旧坑の陥没が残っていたと資料にはある。
今回は山中の小さな金山跡。
はたして遺構に到達できるのか。

石臼・アマルガム・金粒・・・



廃祉
廃祉





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