立又鉱山跡 探検: 北の細道 立又鉱山跡

立又鉱山で1,570mの坑外索道を遡る




 鉱山集落は鉱業の発展に伴い発達する。
一般に鉱山事業所地域、鉱山従事者の住宅地域とそのサービス機能地域の三機能地域から構成される。

鉱山事業所地域には選鉱所・鉱山事務所・貯鉱所などがみられる。
社宅が河川沿いや平地部に並び、供給所や学校・診療所・共同浴場・山神社などがサービス機能地域とされる。

立又鉱山
昭和32年 400名従事の立又鉱山

鉱山で建築した浄水場や小学校は閉山後町に寄付されることがある。
体育館などでは映画の上映や囲碁会なども開催され、
地域民にとっての健全なレクリエーション施設となる。

大規模経営鉱山が開発されるとそれに伴い、
鉱業所周辺に小中学校、診療所や共同浴場、商店街、
そして各種競技場なども併設される場合がある。


立又鉱山は秋田県大館市の北方約15kmに存在した、
金・銀・銅・鉛・亜鉛・硫化鉄を鉱種とする鉱山だ。

発見は約290年前の元文年間であり、明治27年(1894)、阿仁鉱山によって支山として経営がなされ、
明治40年(1907)には坑夫200名を擁していた。
昭和25年(1950)からの朝鮮戦争によって好況時代に入り、
昭和28年(1953)には粗鋼月産3,000t、県内5位の成績となる。
しかしながら昭和48年、休山となる。

立又鉱山は昭和45年(1970)から坑廃水による公害防止工事が複数回行われ、
現地は跡形もなく治山されているかの予想であったが、
それは大きな誤算だった。

幹線操車場・架空索道・選鉱工場・・・



幹線
幹線





トップページへ