神美鉱山跡 探検: 北の細道 神美鉱山跡

神美鉱山で機械部隊の威力も松根から



兵庫県豊岡市


 『桜花』(おうか)は言わずと知れた海軍特殊攻撃機、いわゆる特攻機だ。
同じ海軍特殊攻撃機の中には『橘花』(きっか)があり、
これは艦船や爆撃機に体当たりするのではなく、生還を前提とした機体であった。

この『橘花』の飛行試験は終戦間際の昭和20年8月まで行われていた。
そしてその心臓部にはジェットエンジンが積まれ、これはドイツ製エンジンを模範としたが、
その能力はドイツエンジンの60%の能力であったと確認されている。

機体は翼幅10m程度の小型爆撃機で500kg爆弾を搭載、最高速度は650km/h程度であった。
エンジンはわずか4か月で完成したものの、故障が相次ぎ、送風機や軸受け部の改良が重ねられた。
ジェットエンジンの燃料は通常、灯油に近い発熱量が大きいものが使用されるが、
当時の石油不足から、航空機用の揮発油は使用しない想定で設計されていた。

そこで流用されたのが『松根油』(しょうこんゆ)と呼ばれる、
樹木の松から抽出した油脂の使用だった。

大正13年10月、竹野の鉱山技師が一軒の家の庭石を見て、
金鉱石の露頭であると鑑定したのが本鉱山の始まりである。
岩の発見場所は標高245mの尾根沿いで、翌年3月に試掘権の申請、露頭掘りが開始された。
産出した鉱石は製錬のために 【竹野鉱山】 へ荷馬車で輸送した。

やがて鉱山は昭和9年9月に石原産業株式会社へ転売され、鉱区の詳細な調査が施工された。
石原産業は昭和16年まで操業を続け、その後、日本産金振興株式会社が運営を引き継ぐ。
その後、金山整備令の影響で半官半民の帝国開発会社に移譲されることとなる。

太平洋戦争の拡大に伴い、防錆作用があるニッケル鉱の需要が増加し、
金鉱山は休山、その鉱山設備や人員が京都 大江山ニッケル鉱山へ転換されたのである。
こうして昭和18年10月をもって神美鉱山は廃坑となる。
当時、棄てられた四槽の沈殿タンクが山中に残存していたそうだ。

今回は金鉱山跡の選鉱所の探索だ。
NPO法人 J-heritage 総理事 前畑 洋平様 をアドバイザーとする、
神美地区郷土史愛好会のご案内のもと、青化製錬所の調査を行った。



松根油・青金・製錬所・・・



昭和16年
昭和16年





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