藪の奥の小径

起点はこの美唄の滝となる。
付近には歌音の滝、我路沢の滝などがあるが、
このような右岸からのアクセスは相当厳しい。 美唄の滝


付近炭鉱が三菱鉱業の方針下に属したのは昭和25年の朝鮮動乱勃発以降、
それを契機とした増産要請に応えるかたちで租鉱権炭鉱会社の設立が行われた。
北海道には北菱産業株式会社、
九州には福菱鉱業株式会社と相知炭砿株式会社の3社が設立された。 アプローチ

かつては小さなトロリー電車が走った輸車路の跡だ。

我路炭鉱も閉山通告から労組の戦いは激しかった。
実際のその攻防を少し検証してみる。 輸車路


昭和48年7月28日開催の臨時経営協議会の席上、
我路炭鉱労組(組合員83名)に対し、炭量枯渇、t当たり800円の赤字、
借入金(13憶円)の増大などの経理事情の悪化などを理由に、
8月30日付けをもっての閉山、全員解雇の通告を行った。 トロリー


上流域の沢沿いに登る。

組合側は翌日全山大会を開き、閉山反対の意向を固める。 鉱区


沢沿いには鋼管などの遺構が散発する。

日本炭鉱労働組合(以下 炭労)は対策委員会を設置、
交渉、通産省への働きかけ、三菱本社への抗議等要請行動を展開した。 鋼管


その後、炭労は道知事、札幌通産局長との調整を行ったが、
概ね会社側の問題提議のように将来展望が悪いとの結論に至った。 沢登り


標高240m付近でようやく平場に遭遇。

昭和48年8月22日、現地組合は再び全山大会を開き
これまでの闘争方針から条件闘争に変換した。 平場


付近にはドラム缶や鋼製の遺構がある。

その後の交渉で退職手当、解雇予告手当、日山特別加給金、期末手当見込額、
有給休暇の買取、酒肴料、閉山慰労金などの妥結に至った。 遺構


平場の奥には鋼管やそれを加工した部材が散らばる。
恐らくここが輸車路の終点となる。 廃祉


ここからは坑口を探して藪を進む。
閉山から50年以上、すでに埋没した可能性も高い。 坑口


斜面を一気に登り別尾根を目指す。
複数の輸車路を細かく確認する。 登坂


尾根を越えるとレールの発見だ。
高さは64mm程度、9kg級のレールのようだ。 レール


数本のレールの発見には及んだが、
しかし坑口の発見には至らず輸車路は野に消える。 レール






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