釧勝国境の隧道
音別町は平成17年(2005)に阿寒町とともに合併、現在の釧路市となった。
語源はアイヌ語のオ・ム・ペツ(川口、ふさがる、川の意)からだとの説が有力だ。
町章のマークに含まれる『C』はCOAL(石炭)からきている。
尺別鉱区から深い山中。
アプローチから廃道の斜面だ。
ここから片道2qを目指す。
完全なトラップだった。
この写真の道を思わず進んでしまったが、
これは偽ルート、目的地はもっと東だ。
こちらが目的地に向かう本道。
左へ左へと200mほど偽ルートを進んでからおかしいと気付いて戻る。
遭難のきっかけはこんなところにあるのかもしれない。
人工的に角材に加工された木材が残る。
このような痕跡もルート検証の証となる。
このまま北東に進む。
木の袂に碍子が朽ちている。
この先に電気が来ていたのだ。
何も確証のない中の明確な痕跡、ルートに間違いはない。
4.5×25程度の平鋼を曲げた部材が残る。
リベットが打ってあり、
何かを固定するバンドのようだ
土砂が柔らかく固められた一画がある。
これはどうやらヒグマの寝床のようだ。
ヒグマは漢字で『羆』と書く。
足元には蜂の巣が落ちている。
10月中旬、もう主はいないが、
この丸みはスズメバチかもしれない。
川床に眠るトロッコの車輪である。
紛れもない炭鉱遺構、
無事、東卸鉱区に到達だ。
広い平場が現出する。
当時の主要入排気坑道は各坑道下10mに磐下坑道を掘進し、
100〜200m間隔で立入坑道を掘削して通気を行っていた。
双久坑には直径1,500oプロペラ式54馬力扇風機を設置、
太平坑には直径2,115oターボ式扇風機を用い、
補助的に坑内各所には局部扇風機を設置していた。
この円柱の鋼材は恐らくベルトコンベヤーの部品。
サポートローラーかドライブローラー。
コンベヤーを駆動回転させたり保持するローラーだ。
マウスon サポートローラー
沢にはトロッコの車軸が残る。
トロッコ本体は木製のため、
既に朽ち果てたのかもしれない。
鉄車輪が数か所に埋もれている。
カーブは外側の方が内側より距離が長いので、
デファレンシャルの無い鉄車輪のレール当たり面は斜めに加工されている。
右にカーブする場合は車輪は進行方向のレールの左側に寄るため、
左側の車輪のほうが右側の車輪より接地面積が多くなる。
斜めに加工することで車輪が大きくなり、スムーズにカーブを曲がることができる。
マウスon 旋回時
更に登ると平場にワイヤーが残存する。
いよいよ鉱区の中央部に到達だ。
高さ66o程度、10sf級のレールが残る。
昭和36年当時、稼行炭層が1枚となり深度増加率が高い、
つまり下へ下へと掘り進めている状態だった。
立ち入りを阻むかのような形状のレールが残る。
昭和38年3月当時の人員数は、坑内476名、坑外128名の合計602名と
かなりの大所帯であった。
かなり大きな建物の基礎が残る。
十二尺斜坑と選炭場は索道で結んだとの記録もある。
谷向こうに黒い穴が見える。
恐らく坑口、切り立った崖に残る。
急角度で下る斜坑に到達。
おそらく東卸第二風洞、
若しくは十二尺斜坑の残存部かもしれない。
ザイルを駆使して懸垂下降で斜坑を下る。
ビレイの本領発揮だ。
酸素濃度は20.6%。
問題の無い数値で、
これは奥まで継続する。
ザイルの届く範囲、
約10m程度で撤退する。
落ち葉の堆積が酷く急角度だ。
通気システムは扇状地区に20馬力、北卸坑に40馬力、
そして東卸には54馬力の扇風機が設置されていた。
昭和11年には隣接する浦幌炭鉱と統合。
昭和17年尺別炭鉱〜浦幌炭鉱を結ぶ尺浦隧道が完成、
6kmの尺浦隧道は十勝国と釧路国を直別川を境に
釧勝国境となるため、行政面において支障を来す場面があったという。
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