エネルギー革命の中の煉豆炭
大正4年に誕生した尺別村は、
大正7年の尺別炭鉱開坑により昭和30年代に人口は1万人を超えることとなる。
街の中心は海沿いの音別にあったため音別町に変更された。
尺別川の上流部、
炭鉱鉱区から入山する。
かつての尺別鉄道跡が残る。
尺別鉄道の橋台跡だ。
尺別鉄道は開坑して間もなく、
炭鉱と国鉄を繋ぐ10.8qの運炭線として開通した。
開通当初の軌間は762mmの狭軌でスタートし、
昭和18年に1,067oに改軌され、
いわば軽便鉄道の専鉄時代から地方鉄道時代に生まれ変わった訳だ。
豆炭工場に向けて森に入る。
尺別鉄道から枝分かれしたかつてのズリ捨て線を、
豆炭工場への引込線に転用したと資料にはある。
森を進むと元職員住宅のあった場所に植林がなされている。
その間を縫って軌道敷のような、
引込線廃線跡が残る。
しばらく森を進むと、
ヒューム管が朽ちている。
その奥には煉瓦製の遺構がある。
森の奥にて豆炭工場跡に到達だ。
建屋は火薬庫のような様相で、
レンガ製の平屋となる。
石炭はその市場が多岐にわたっており、
例えば石炭を燃焼、その熱で水を蒸発させて発生する蒸気でタービンを回して発電、
これが火力発電所での使用用途である。
工場だけあって窓も存在する。
これが火薬庫との大きな違いとなる。
壁も火薬庫と比較すると遥かに薄い。
内部は酷く荒れている。
一部の建屋は崩れ、
床は森に還りつつある。
豆炭は材料である無煙炭をフレットミルと呼ばれる粉砕機で細かく加工する。
それを乾燥炉で処理した後、プレス機で成形し
冷却と計量を行い製品化する。
レンガはイギリス積みと呼ばれる方式で施工されている。
長手面のレンガが縦に揃う形となり、
角付近に『ようかん』と呼ばれる正方形のレンガを使用している
マウスon イギリス積み
当時の煉豆炭業界は燃焼器具の改良と品質改善を行い、
販路拡大を図ったことから、夏場の増産に繋がり
これが無煙炭の需要増に結び付いた。
国鉄蒸気機関車に使用されたのが
マセック煉炭と呼ばれたもので、これは一般炭を原料としている。
業務用途としては施工したばかりのコンクリートの凍結防止養生用として需要が多かった。
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