坑道掘進8,000m
鳥海山は山形県と秋田県の県境にある、標高2,236mの頂だ。
東北第2の高さの独立峰で(1位は福島県の燧ヶ岳2,356m)
別名を出羽富士とも呼ばれる。
小又川沿いの林道を延々遡る。
本ルートにはかつては山形営林署の森林軌道が敷設されていた。
鉱山は海抜300m、夏季は25℃前後、冬季は積雪が2mを超える深い山中だ。
林道脇の選鉱場に到達だ。
北海道の金鉱山のような巨大スケールではないものの、
かなりの規模の大きさがある。
古くは徳川時代に稼行された製錬炉が残ると言われていたが、
江戸時代末期の発見との履歴もある。
古河鉱業(株)によって開発された明治34年以降が盛況であったという。
採掘した鉱石を砕き、粒度を揃える。
泥状にした鉱物を水槽内で泡と共に浮き上がらせる、
日に150tを処理可能な浮遊選鉱施設跡だ。
当時、拡張工事中の選鉱場だ。
昭和32年3月には30t比重・浮選併用テストプラント選鉱場が完成、
その年末には150tクラスの全泥浮遊選鉱場に拡張、最盛期を迎える。
この部分は貨車やトラックへの積込施設のようだ。
運鉱には2tバッテリーロコや3tディーゼルロコ、
鉄製鉱車40台が資料にはある。
選鉱場は鉄骨ブロック建て、延べ445坪、
昭和33年9月末現在 従業員数は直営178名、請負180名。
選鉱所の他宿舎、鉱友館、分析所、製材所、工作室、事務所などが存在した。
上部の破砕施設へ向かう。
鉱石輸送は営林署の森林軌道にて、2台のガソリンカーを使用し、
1日3往復、100t/日を鉱送した。
破砕工程の下流、ホッパー部分だ。
坑道は東部の日原坑、西部の丸倉西坑、東坑が開発され、
その後坑道掘進は8,000mに及んだ。
選鉱場の斜面に沿って上部に登る。
コーンクラッシャーやボールミルを用いて破砕、
そして摩鉱した鉱石を貯蔵する摩鉱舎のようだ。
貯鉱舎内部には、
きめ細かな鉱石が残る。
シュート扉の開閉部分もひどく腐食している。
圧気シリンダーなどで開閉する機構もあるが、
今はその面影もない。
何段もの石垣を用いて、
斜面上に階段状に配置される施設群。
これはカスケード(=連なった小さな滝)方式と呼ばれる。
コンクリートの支柱には配電盤が残る。
ピーク時の生産実績は昭和35年に銅精鉱2,404t、
鉛360t、亜鉛4,523tであった。
鉱石の貿易自由化に伴い、単価の値下がりが発生し、
管轄する鉱山のうち小鉱山は合理化が推し進められた結果、
本坑は昭和38年閉山に至る。
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