朴ノ木鉱山跡 探検: 北の細道 朴鉱山跡

早池峰鉱山の歓楽街跡で遊ぶ



岩手県紫波町

1612年、江戸幕府はキリスト教の教えが既存の身分制度(士農工商)に反するため、
ポルトガル船の来航を禁止、貿易にともなってキリスト教の布教が進むことを恐れた。
これがキリスト教の禁止令、いわゆる『禁教令』である。

鉱山は一種の治外法権であり警察権が及ばなかったため、
多くの信徒が鉱山夫として潜入し、それでも役人の目から逃れるため、
絵や漢字を使って一見すれば十字架と分からないような細工を施し、密かに信仰を続けていた。

1635年に藩主が七つの罪で幕府から処罰されるという事件があった。
その中には領内にキリシタンが多いという一項があり、
朴金山に出稼ぎにきた千人余りの鉱夫の中に多数の信者が入っていたということが発覚し、
幕命をおそれた藩では、その後、鉱山にも厳しい手入れを行うようになり、
鉱山でも多くの信徒が検挙されることとなる。


花巻市と紫波町の尾根を挟んで南側を並走する朴沢では、
元和8年(1622)から朴木金山(朴または厚朴とも)が栄え、
最盛期には金山の人口が13,000人、戸数2,120軒に達した。
遊郭や歓楽街までもが設置され、
角力(かくりょく=相撲)や歌舞伎の興行も行われる盛況ぶりであった。


今回紹介の早池峰(はやちね)鉱山は鉱業権者の移り変わりが激しく、
他の鉱山のようにご多分に漏れず、名称の移り変わりが激しい。
以下にそれを取りまとめる。

  年代    名称及び内容 
 元和8年(1622)  朴木金山(朴鉱山または厚朴鉱山)
 昭和18年(1943)  金山整備法により帝国鉱業開発(株)に帰属
 昭和20年(1945)以降  陸奥鉱業(株)に譲渡
 昭和38年(1963)  (有)岡部工業所がけい石産出
 昭和51年(1976)  (有)イ昭産業により大佐内鉱山に
 昭和55年(1980)  (株)朴鉱山により朴鉱山に
 昭和57年(1982)  三菱金属鉱業(株)により早池峰鉱山に
 平成元年(1989)12月  個人所有となり閉山


長い歴史の中で金の他にタングステン、そしてシリコンや消火剤、
建築骨材の原料となる珪石を産出した岩手の鉱山跡を歩いてみよう。




精錬所・遊郭・クラッシャ・・・



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