今は無き水深


歌志内市には昭和37年頃の最盛期、約20の炭鉱があった。
1963年以降は人口は半減、
近年皮革、繊維工場を誘致していた。  歌志内市


3月下旬、残雪はあるものの固く締まり、
つぼ足でのアタックだ。
街を背に一気に標高を稼ぐ。 アプローチ


しばらく登るとやがて配水池に到達だ。
外周は突起の無い円形、
屋根は丸みを帯びたドーム型だ。 配水池


周囲は恐らくプレストレストコンクリート(PC造)製で、
屋根は鉄筋コンクリート(RC造)製のようだ。
PC造はあらかじめ鉄筋を引っ張った状態でコンクリートと固定する。 配水池


腐食した配管も残る。

鉄筋が縮もうとする圧縮力がコンクリートに掛かり、
コンクリートの引張への強度不足を解消するのだ。 遺構


ここからは道なき斜面をトラバースして近道を行う。
この時期ならではのルートかもしれない。
方向と斜度には十分注意して進む。 トラバース


やがて輸車路のような広い道の跡に出会う。

歌志内の大手探鉱は北炭・住友そして三井となる。
北炭同様住友においても事業の拡張に伴って炭鉱の従業人口は増加した。 輸車路


付近には杭に流用されたレールが残る。

場所的に赤平市/歌志内市/住友石炭鉱業の三者共同での上水道敷設工事が決定、
昭和31年4月に着工した。 レール


尾根越えをして、炭鉱跡の鉱区中心部に入ると遺構がある。
はたして空知なのか住友上歌志内なのかも見当がつかない。
炭鉱時代のコンクリート遺跡では間違いない。 鉱区


そして坑口の発見に至る。
半ば埋もれた古い坑口だ。
今回のターゲットは配水池であったが思わぬ遭遇だ。 坑口


足元にはゲートバルブも残る。
おそらくガス抜きのバルブのようだ。
更に進んで別の配水池を目指す。 バルブ


森を進むと木製電柱がある。
山中に1本だけ残存しており、架線は既にかかっていない。
こういった遺構を発見し辿ることで目的地に到達できる。 木製電柱


想定の配水池に向けて斜面を登る。

昭和30年代からの石炭産業斜陽化は、
出炭の縮小や人員の整理に繋がった。 登攀



かなり登るとブロック積の遺構がある。
恐らく古いタイプの配水池タンクだ。
ブロックの劣化が激しいようだ。 遺構


外壁のブロックは大きく崩れている個所もある。
このブロックは『カラミ』でできているような風合いだ。
カラミは銅を製錬した時に出る滓のことだ。 カラミ煉瓦


かつての銅鉱山では夥しく産出するこのカラミを固めてブロックとし、
擁壁や基礎、橋台や石垣の代用とした。
歌志内の炭鉱跡の配水池にある経緯はわからないが、
三笠のヌッパ炭鉱でも見た記憶がある。 カラミ


タンク内部はコンクリートが剥がれ落ち、
劣化が激しい。
土圧や凍結による50年の歴史だ。  タンク内部


配水池の深さはレーザー距離計で3.718m。
かなり危険な深さだ。
水道関連施設の探索はこの地下タンクの危険性がある。 配水池


カラミ煉瓦の配水池の上流には、
更新後の新配水池があると予想してさらに登坂する。
かつて存在したであろう配水池までの道はもう痕跡もない。 新配水池


100mほど登るとコンクリート製の配水池に到達した。
やはり周囲はプレストレストコンクリート(PC)製、
屋根はリーインフォースト コンクリート(RC)製と思われる。 配水池


タンクから配水管に繋がる給水栓付近には古いエルボがある。
どうやら1950年製、
200A×90°のロングタイプのようだ。 マウスon エルボ


これはドーム型の天井部に設けられたメンテナンス用のハッチだ。
扉は既に破損しており、
点検時にここからタンク内に侵入する出入口だ。 メンテナンス


点検口内部には鋼製の梯子がある。
ポンプ室からの太い送水管があり、
ボールタップも見える。 点検口


ボールタップ装置は水位が下がると浮き玉が沈み、
この弁体が開き給水され、タンクの水位が上がると、
浮き玉が浮き上がり、アームを介して弁を閉じ、給水を停止する機構だ。 マウスon ボールタップ


深さは4.615mと旧式配水池よりさらに深い。
こういった地下タンク内部は酸素濃度が薄い場合があり、
非常に危険なため、入構はしない方が賢明だ。 深さ


閉山が加速した昭和35年以降、人口流出による過疎化に伴い、
給水人口が激減する中で鉱業所専用水道の付加価値は下落していった。
今回探索の配水池の風景は市営上水道がそのシェアを拡大していった、その現状有姿だと言える。 配水池






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配水池
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