繰り返す休山


和賀川の右岸から登る。
月山への登山道として整備されているため、
非常に歩きやすい道だ。 吉ノ沢


和賀川から300m程度で鉱山跡地に到達だ。
なんとなく人工的な斜面や平場がある。
登山道から離れて周囲の探索を行う 鉱山跡


すぐにRC製の遺構が現れる。

もともと付近は鎌倉時代、そして宝永年間(1704〜1710)に稼行された鉱区の跡を
再開発したものだ。 RC


近くには煉瓦製のボイラーのような設備もある。

明治17年に再興され、明治38年(1905)からは現地製錬
大正元年(1912)には銅88.5tを産出、発展を遂げる。 レンガ


これは煙道か熱の通り道のようだ。

同年、層状鉱床が確認されその底部を確認するため、
和賀川河畔から大切坑という坑道を掘削した。 小道


石で組まれた隧道がある。
やはりこれは煙の通り道、煙道の跡だ。
製錬のために熱を利用していたのだ。 煙道


大正初期には立坑から最下層の八番坑までが掘削、
大正4年(1915)には三菱合資会社に経営が移る。
金・銀をはじめ銅を中心に繁栄を極める。 煙道


鉱床の下底を採掘しつつ、
斜坑と水平坑道を延長し、
金銅鉱の生産はさらに盛況となる。 石垣


富鉱部の採掘が進む中、
付近の三菱鷲合森鉱山の開発に集中するため、
昭和14年(1939)9月、綱取鉱山は一旦休山する。 部材


第二次大戦後、昭和25年(1950)8月、
鉱業権は系列会社の荒川鉱業株式会社に譲渡され、
沈殿銅(鉱水中に溶けた金属銅)の採取を行う。 アンカーボルト

昭和35年(1960)からは旧坑の取明、
つまり崩落して閉塞した坑道を取り明けて坑道をつくる作業を行ったが、
大きな発展は無く再び休山を迎える。 土台


点在する煙道は恐らく沈殿銅の析出のために、
鉱水を蒸発させる工程で熱源として使用されたのだろう。
更に山中を目指す。 煙道


森を進むと白濁した鉱泉の流れる沢がある。
硫化水素臭がありここから湯の華を伴って湧き出している。
温度は16.8℃と冷泉だ。 マウスon 鉱泉温度


しばらく登ると土盛りに囲まれた火薬庫が残る。

銅・鉛・亜鉛鉱石の産出をみた後、
鉱業権者は三菱金属鉱業、三菱金属と変化する。 火薬庫


昭和3年〜14年の間に35,913tの銅精鉱を産出、
金12g/t、銀30g/t、銅4%の品位であった。
金売吉次の隠し金山は今なお幾ばくかの痕跡を残す。 火薬庫






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沈殿銅
沈殿銅

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