ソーダの基底
まずは相馬ダムから作沢川に沿って登る。
鉱山の標高は270m付近、
まだまだ上流を目指す。
作沢川は中流域の様相だ。
鉱山跡まではほぼ林道が通じており、
あまり歩くことなしに到達できそうだ。
やがて林道脇には広い平場が現れる。
どうやら鉱山跡付近に到達したようだ。
付近の様子と地形図を確認しながら歩く。
近くには無縁仏と舟打鉱山友之会の石碑がある。
一時期付近はキャンプ場として整備されたらしいが、
現在は藪の平場が残るのみだ。
鉱山集落か、かつての小道が残る。
周囲は人工的な雰囲気が色濃く残る。
ただ明確な鉱山施設はまだ発見できない。
奥には鳥獣供養塔があり、
その先にはご覧の鋼製の遺構がある。
何かの倉庫のようだが鉱山時代の物ではないかもしれない。
鉱滓ダムのような大きな土留めも残る。
かつては相馬に向けての鉱石運搬用の架空索道が資料にはある。
これは4qに及ぶ長大なものだった。
その土留めの上部には、
水槽のような遺構が残る。
恐らく浮遊選鉱の設備の痕跡だ。
昭和4年に日本曹達株式会社が本坑を買収したことは前述したが、
この『曹達』とはソーダ(炭酸ナトリウム)のことであり、
同社は現存、医療品や化学分野の大手企業となっている。
水槽はかなり劣化が激しい。
昭和31年には同社の鉱山部門が独立し、
日曹金属鉱山株式会社が設立された。
浮遊選鉱は水に濡れやすい鉱物とそうでない鉱物を、
水槽内の気泡と共に浮かび上がらせたり沈めたりして
選別する方法だ。
付近には巨大な石垣も残る。
生産鉱量は昭和14年の3,476tをピークとし、
戦後は昭和30年の2,389tを記録以後、なだらかに減少した。
森の中に鉱山住宅の跡らしき遺構が残存する。
現地で浮遊選鉱された精鉱は、
関連各社に鉱送され精錬過程となる。
鉛及び亜鉛は日本曹達会津工場に、
硫化鉱は日本曹達高岡工場で精錬、
銅鉱は大日本鉱業発盛鉱業所に売鉱された。
資料には藍内坑という通洞など、
8か所の坑口が描かれている。
それら坑口への到達は果たせなかった。
鉱区の地層最上部には貝化石が多産したという。
このような深い山中もかつては海の底であり、
長い年月の火山活動の中で地表に現れた産物なのかもしれない。
戻る