舟打鉱山跡 探検: 北の細道 舟打鉱山跡

舟打鉱山でガラを選別する



青森県相馬村

  高等小学校卒業後、十代後半を舟打(ふなうち)で過ごした少年は鉱山の作業に従事していた。
同級生5人の中でも、鉱山で働いたのは彼だけだ。
彼は採掘の業務ではなく、選鉱場での作業であった。
坑道内では発破を用いて鉱石を砕き、それをトロッコで運搬する。
破砕機で鉱石を更に細かくした後はベルトコンベヤーに積載する。

そのベルトコンベヤー上の流れる鉱石を選り分けるのが彼の仕事だ。
茶色い鉱石が亜鉛、ブルー系の灰色の鉱石が鉛、これを目視で選別するのだ。
それ以外の廃石は『ガラ』と呼び、このガラはまとめて棄てる。
それが鉱山で働く彼の業務であった。

舟打鉱山は明治2年頃(江戸末期の説もあり)、
相馬村の個人が現地で光沢のある岩石を発見したことに始まる。
明治39年(1906)採掘権が設定、昭和4年(1929)からは日本曹達株式会社が買収、
昭和13年(1938)以降、重要鉱山に指定される。

最盛期には1,000名の住人がこの山中に暮らし、
第二次大戦中も増産が叫ばれ、鉱山は活気に満ちた。
しかし貿易自由化の影響を受け、昭和37年(1962)9月閉山を迎える。


青森県の山中は金属鉱床が非常に多い。
その中でも今回は銅・鉛・亜鉛・硫黄鉱床である舟打鉱山の探索だ。
選鉱施設やかつての街の遺構に到達するとともに、
鉱量の変化やその流れも追ってみたいと思う。



石碑・水槽・曹達・・・




水槽
水槽





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