大雪崩による休山
鶴岡市から鉱山に向かう大鳥川沿いに存在する八久和発電所だ。
昭和33年(1958)運用開始、八久和(やくわ)ダムに付随する。
建物の屋根部分には巨大な放熱口がある。
アプローチの県道340号線には、
旧道のロックシェッドが残る。
選鉱所まではもうすぐだ。
やがて寿岡(としおか)集落の外れに巨大な遺構が現れる。
鉱石の破砕と浮遊選鉱を行う工場跡、
山の斜面に色濃く残っている。
寿岡選鉱場跡である。
まるで城壁のような体躯だ。
工程に従って確認するためまずは頂上を目指す。
掘り出した鉱石から、
銅・亜鉛・鉛そしてマンガンの精鉱(不純物を除き品位を向上させた鉱石)を取り出すのが、
この選鉱工場の工程だ。
選鉱施設頂上には建築物が残存する。
南方1qの採鉱地区から運ばれた鉱石は、
まず200oを境にふるい分けするためにグリズリ装置に掛けられる。
マウスon グリズリ
グリズリ装置は破砕装置供給口の手前で、
その装置に入る大きさかどうかを選別する機械である。
鉱石が転がるように傾斜を持たせた立格子状の鋼材が並べられ、
200oの所要間隙を開けて平行に配置、大型鉱石は隙間から落下しない構造だ。
ここでは打撃や摩鉱(磨り潰し)運動を用いて鉱石を破砕するクラッシャーが運転していたようだ。
潰した後の鉱石粒度の選別はトロンメルという回転型のふるい器を用いて、
13oを境に選別、大きいものは再度クラッシャーに通される。
マウスon トロンメル
トロンメルの網目から落下した13o以下の小さな粒は、
ドル分級機で更に粒度選別され、巻き上げた大粒鉱は摩鉱工程で再粉砕に、
溢流した上澄み粉鉱はサージタンクで抜鉱される。
マウスon ドル分級機
ドル分級機は傾いた桶型容器の底を、かき板のついたベルトが走り、
汚泥内に含まれた塊は樋の上までかき板で運ばれ、
液と含まれる粉状の鉱石は流れ出て排出、塊と選別することができる。
液と含まれる粉状の鉱石はサージタンクと呼ばれる、
流量や組織を緩和するための調圧水槽に投入される。
その後、更にミルで摩鉱して泥状鉱石にする。
摩鉱した鉱石は温度や湿度、濃度を調整するため、
コンディショナーに投入され亜硫酸ガスと消石灰が混合される。
次工程の浮遊選鉱前に適度なバルブ(泥水状)濃度に保たれるのだ。
浮遊選鉱は冒頭に述べたバルク浮選が用いられ、
加温により銅が浮き上がり鉛が沈降する。
温度や化学反応を用いて水や油と鉱物の結びつきをコントロールするのだ。
浮遊選鉱で分離した銅や亜鉛の精鉱は脱水後出鉱される。
尾鉱と呼ばれる選鉱後の廃石は、
ポンプなどで堆積場へ鉱送、堤の中で管理される。
大泉鉱山では大正7年(1918)に大雪崩が発生、
150名以上の尊い命が奪われることとなり、
戦後の不況も相まって一旦鉱業権は放棄、休山に向かう。
その後再興して繁栄を迎えるが、
選鉱所から1q離れた採鉱地区の冬季積雪は5〜8m、
豪雪地帯ゆえの環境制約も事業活動に悪影響を与えたという。
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