大判3,500枚


宝達志水(ほうだつしみず)町は石川県のほぼ中央部、
能登半島の付け根に位置する、
こだわりの農家の多い街だ。 アプローチ


宝達山は能登で最も高い山だ。
宝達鉱山最盛期の慶長時代(1596〜)には、
大判金貨3,500枚を産出したとある。 宝達山


坑口周辺の斜面を登る。

宝達鉱山の運営は親方請負制という、
珍しい形式だった。 アプローチ


山中には人工的な切通が残る。

親方請負制では親方衆が鉱夫を雇い、
大名に金銀を販売、鉱夫に賃金を支払うという組織であった。 切通


人工的な路盤のような跡も残る。

宝達鉱山は他鉱山よりも早い段階で精錬技術が導入されており、
それはキリシタンの関係からの西洋技術であるという説もある。 路盤


坑口は中野平というわかりやすい場所にある。
金の産出量が減少した元和3年(1617)からは、加賀藩直営に移行、
やがて民間業務となり、小さく採掘が行われていたという。 坑口


坑道内の酸素濃度は20.6%と問題ない。
坑道内部を確認する。
最盛期には150名以上の事業従事者がいたという。 酸素濃度


坑道内部は10m程度で行き止まりだ。
当時の鉱山技術者たちは健康管理のために、付近に自生していた『葛根』を掘り、
漢方として飲用していたが、現在でもこれは『宝達葛』として名品と言われている。 坑道


藩の直営となった後の金山技術者たちは、
加賀藩が実施する用水路や隧道の建設に
自ら従事したそうだ。 坑道


加賀藩の土木事業には、
鉱山で培ったすぐれた鉱山技術が導入され、
その技術者たちのことを『宝達者』と呼び、彼らの有能さが重宝された。 坑口








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宝達山
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