宝達鉱山跡 探検: 北の細道 中尾平鉱山

寶達鑛山で宝達者を思う



石川県宝達志水町

 加賀藩のお膝元、能登半島の宝達山は標高637m。
石川県羽咋群誌には寶達鑛山の名が記載されている。
そこには「寶達山は古に在りて既に黄金を産す」とある。

加賀藩の古文書には天正4年(1576)から元和3年(1617)の40年間が稼行時期であるとされているが、
上記のとおり、平成15年の石川県鉱山調査では、
文亀〜天文(1501〜1555)にかけての鉱山用石臼が発見されており、
開山時期が古文書より遡る説が有力となっている。

また、当初の金鉱石採掘は露天掘りで行われており、
江戸時代に入ってからは、同地で坑道堀りの中尾平鉱山が採掘しており、
今回探索の坑道は中尾平鉱の跡の可能性も高い。

石川県の鉱山跡といえば尾小屋鉱山を探索したことがあるが、
今回は小さな金鉱山、寶達鑛山(宝達鉱山)跡だ。
その歴史と体制に魅力を感じ、遠路はるばる北海道からそのために石川県へ遠征した。

しかし、その3か月後(2024/1/1)に驚くべき大地震の襲来、
あえてこの時期に敬意をもって宝達鉱山跡を公開させていただく。

石川県能登地方の地震により被災されたみなさまに、
この場をお借りして、心よりお見舞い申し上げます。


坑道・宝達者・金山・・・




坑道
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