不況の中の閉坑
アプローチは標高470m付近とかなりの高さだ。
なんとなくの廃道が伸びており、
炭鉱跡に向かってアクセスする。
尾根を越えると眼下に平場が見える。
妙な位置に沢が流れている。
まだ炭鉱跡地の雰囲気は無い。
沢の上流部へ向かうと、それは鉱泉の吹き出しであった。
落ち葉の間から、湯の花を伴った温泉が湧き出ている。
沢の源流は温泉だったのだ。
バイブルである日本鉱産誌 昭和32年12月 『水及び地熱』によると、
地面から湧出する水の中で、
無機化学成分(リチウムイオン、ラジウム塩など)の多いものを鉱泉と呼ぶとある。
水温は12.8℃と冷泉だ。
湧泉中、熱を加えなければ入浴に適さないものが鉱泉で、
そのままか、冷水を投じて入浴できる高温の湧泉を温泉と定義している。
色の残るドラム缶が朽ちている。
どうやら炭鉱跡地に到達だ。
他にも遺構がありそうだ。
鋼製の組まれた架台が残っている。
木製の電柱や碍子も散乱する。
西に進む。
木に備え付けられた鳥かごのような遺構。
これは動物や害虫のために後に備えつけられたものなのか、
当時の通信機器のようなものなのか不明だ。
木製の電柱が多数ある。
これは途中で切断されたようだ。
付近まで間違いなく電気が来ていたのだ。
奥には巨大なコンクリート製の土台がある。
太いアンカーボルトが並び、
何か装置が据え付けられていたのだ。
形状から電動機(モーター)か扇風機が装着されていたようだ。
中央が掘れているのは、
メンテナンス用のピットかもしれない。
奥には高い擁壁がある。
壁には土台があり、
ここにも何か装置が装備されていたのだ。
周辺には更に大きな基礎がある。
コンクリートは苔むして劣化している。
劣化するのは凍結や雨水だけが原因ではない。
アルカリ性のコンクリートは空気中の二酸化炭素と反応して中性化する。
中性化すると内部で塩素イオンが増殖し、
鉄筋の腐食が加速する。
冒頭の『前川レポート』による石炭縮減の提言は、
繊維や基礎素材などの一連構造不況の中で、
特に石炭にだけ言及した内容となっていた。
付近にはレールも残る。
具体的な構造変換業種の代表格として、
石炭産業を槍玉にあげた形だった。
前川レポートの提出は奇しくも石炭鉱業審議会が
第八次石炭政策の検討に取り掛かった矢先の時期であり、
石炭の減産政策に拍車がかかる一端となったのかもしれない。
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