坑内冷却という秘密兵器


幌内山中、街からかなり外れた一画だ。
炭鉱の稼行深度が増すにつれて、
地熱により坑内温度は上昇する。 幌内山中


沢沿いからアプローチする。

通気系統の改善はもちろん、
昭和49年(1974)から坑内冷房装置の設置が進められてきた。 アプローチ


散々の藪漕ぎの後、坑内冷房施設に到達だ。

冷房装置は 「冷媒」熱を温度の低い所から高い所へ移動させるために使用される流体 を通して冷水を作り、それを坑内に送り、
熱交換器で坑内を冷却、温まった水は再び地上に戻り循環冷却する機構だ。 坑内冷房施設


天井には太い配管が残る。

坑道冷房装置BC方式(Basic cooling system)は坑内で施設が完結する方法だ。
坑道内では多量の水の確保は困難のため、
完全循環式の設備が配備された。 配管


坑道冷房方式はポンプで水を循環させ、
作った冷水を空気冷却器に通して坑内の雰囲気を冷却、
温まった温水を再冷却して、坑道内だけで循環させるものだった。 坑道冷房方式


対して面内冷房方式SC方式(Sectional cooling system)は、

払跡(採掘跡)からの熱気流に対し、排気側の坑内冷房を施したものだ。
小型の冷却器を複数接続し、冷房センターと呼ばれる坑内施設を設けた。 坑内冷房


温度計が残存する。

冷房センターは入気、排気部の東西2か所、計4か所に設けられ、
東西センター間を断熱パイプで接続、
冷房負荷に偏りが出ないように調整されていた。 温度計


設備のあらゆるメーターは取り外されている。

そして更に高温環境に対峙するべく、
坑内の熱交換器と地上施設の冷却器に分離して稼働したのが、
本施設である中央集中冷房方式CC方式(Central cooling system)である。 メーター


床下にも装置が据え付けられている。

昭和58年から3年間にわたり検討され、
昭和61年7月末に完成した設備は計画通りの効果を発揮した。 施設内部


朽ちた配管が細かく残る。

CC方式は坑外地上に大容量の冷凍機を設置して、
作られた冷水を地上から1,055mの深度まで送水する形式だ。 配管



これは旧式の「オシログラフ」電気振動(電流、電圧の時間的な変化)を記録する装置 のようだ。

本施設から坑道までφ200oの立坑配管を配置し、
冷水を送水、坑底の熱交換器を循環し再度坑外の冷凍機に戻る閉回路であった。 オシログラフ


熱交換器で高圧から低圧に熱交換を行い、
低圧の冷水をスプレーチャンバーと呼ばれる、
霧状にした水を空気と共に均等に送り出す装置を介して、
多量の気流を冷却する方式がとられた。 事務所跡


深度の深い8片と9片には
冷却器であるスプレーチャンバーを配備して熱交換器の不足を補った。

冷房方式

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地下の冷水温度は入り口が8℃、出口が20℃となっており、
この水温をもって熱交換を行い、
坑底の冷却に貢献することとなる。 配管


冷凍機の駆動エネルギーは夏季の余剰蒸気を利用した。
坑道冷房方式や面内冷房方式と異なり、
坑内の広範囲の区域を冷房可能であった。 マウスon 油入開閉器


実際の坑道工事は昭和60年10月から着手し翌5月に完成、
設備工事は4月から着手して7月末に完成。
夏季の温度条件の最も厳しい時期に連続運転体制に入った。 配管


中央集中冷房方式での稼働以降は混合空気が14℃の改善、
切羽の排気側でも6℃の改善がみられた。
その冷房効果は非常に高かった。 巡回板


中央集中冷房方式運転前後の温度比較

         切羽冷房のみ    入気冷房追加    増減 
 大気温度  32.0℃  33.0℃  +1.0
 立坑・坑口  30.0℃  31.0℃  +1.0
 立坑・坑底  33.0℃  32.0℃  ▲1.0
 冷房坑道入口  26.6℃  17.5℃  ▲9.1
 冷房坑道出口  26.1℃  4.2℃  ▲21.9
 盤下坑道  24.0℃  9.1℃  ▲14.9
 立入  23.5℃  9.5℃  ▲14.0
 切羽ゲート入口  23.0℃  14.0℃  ▲9.0
 切羽下部  26.1℃  17.6℃  ▲8.5
 切羽上部  34.1℃  27.8℃  ▲6.3
 切羽排気側  35.2℃  29.3℃  ▲5.9

設備導入により切羽入気温度で約9℃、排気側で6℃低下し、
計画以上の効果を発揮していた。
これは脱水症患者数に顕著に表れた。 電源


脱水症による軽労者数をみると、
昭和59年度の43名を100とすると、翌年は73名と+70%、
冷房装置が稼動した昭和61年度は7名と-84%にのぼる。 時計


地下1,000mを超える坑底の温度を抑える技術。
しかしながら機材が稼動してからわずか3年後の平成元年(1989)をもって、
幌内炭鉱は閉山、110年の歴史に終止符を打つのである。 vベルト







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