三川鉱山跡 探検: 北の細道 三川鉱山

三川鉱山でLJ20に逢う



新潟県東蒲原郡

 鉱山における採算性はどのような基準なのだろうか。
かつては採掘を奨励するために、国による補填が行われ、
例えば価格差補給金制度や探鉱奨励金の交付、新鉱床探査補助金制度など
手厚い保護が鉱山にはあった。

しかし昭和25年(1950)の新鉱業法制定以来、重要鉱産物の増産保護は撤廃され、
補助金が減少した各鉱山企業は合理化を図らざるを得なくなった。

低品位、金属価格の変動、立地による運搬距離、湧水やガスなどの悪条件により、
場所、時期による採算性は大きく変動する。

『鉱床価値』を金額で表す数式が、V=PT(m-r)となる。
鉱床価値V円は鉱物単価P×鉱量T×(平均品位m%−限界品位r%)で決まるとされる。
しかし平均品位を広範囲でみるか小ブロックで見るかによって、展望は大きく変わってくる。

今回紹介するのは新潟県の金銀銅そして亜鉛等を採掘した鉱山跡だ。
古く室町時代から探鉱、採掘され明治33年(1900)には大谷鉱山と呼ばれ、
年産100tの金銀鉱を産出、大正3年(1914)以降20年間は金銀銅を日立鉱山や小坂鉱山に売鉱。
昭和7年(1932)から三川鉱山となり、昭和15年(1940)には300tプラントの選鉱場が建設され、
金・銀・銅・鉛・亜鉛・硫化鉄鉱を採掘したが、昭和37年(1962)に閉山を迎える。


今回は巨大な選鉱所を中心にその痕跡を調査してみたいと思う。


ジムニー・石垣・シックナー・・・




シックナー
シックナー





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