釜の沢鉱山跡 探検: 北の細道 釜ノ沢鉱山

釜の沢鉱山で銅価暴落の爪痕を見る



栃木県塩谷町

 佐渡金山の発見は慶長6年(1601)、島には55の鉱山があったとされる。
坑道の総延長は400km、一時は10万人が暮らす大都市と化していた。

鉱山西部では、坑道深度667m(海面下530m)に達する坑道がある。
坑口総数は300か所、金品位2.4〜8.0g/t、
昭和15年(1940)月産5万t処理の浮遊選鉱場が建設された、
言わずと知れた大鉱山である。

平成元年(1989)3月、資源枯渇のため閉山したものの400年近くの歴史を刻む。


「ドサクサにまぎれて」という言葉があるが、これは江戸時代に金山の人足に充てるため、
賭場の検挙者を佐渡へ送ったが、この人足狩りを『どさ』(「佐渡(さど)」の倒語)と呼び、
佐渡へ送られることを、「どさを食った」と称し
これがなまって「ドサクサ」になったと言われている。

今回紹介するのは栃木県の銅鉱山跡だ。
古く徳川時代から探鉱、採掘され大正6年(1917)には重要鉱山に指定、
鉱業権は田中鉱山(株)、釜石鉱山(株)などに推移する。

昭和に入り鉱業権は個人に移ったものの、昭和16年(1941)には帝国鉱業開発(株)が買収、
付近の鉛山鉱山、寺島鉱山、野州鉱山などの各鉱山を支山として、
昭和17年(1942)に浮遊選鉱所を釜の沢鉱山に設置、
各鉱の選鉱をまとめて行うこととで規模の集約化を行った。

その後、選鉱作業は昭和23年(1948)まで行われ、財閥解体後、新鉱業開発(株)が鉱業権を引き継いだが、
その設定は昭和39年(1964)までとなり、稼行の有無は不明となっている。

今回は多数の鉱山の鉱石処理を統合した 選鉱/製錬所を中心にその痕跡を追ってみたいと思う。


なお今回、水鉛様より多数の情報提供を頂きました。
この場をお借りして、お礼申し上げます。


沈下橋・サプライズ・坑道・・・




選鉱所
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