落ちた橋のその先に


基点となる街、布伏内には炭鉱時代の炭住が残る。
かつては雄別炭鉱鉄道『古潭』(こたん)という駅があり、
昭和50年代には工業団地の誘致を行ったが現在は静かな街である。 布伏内


布伏内の町はずれの崖には『1957』と彫られた場所がある。
これは雄別炭鉱鉄道が現役の頃、DC型という新型車両導入に伴い、
1957年、つまり昭和32年に記念撮影をしたその場所の残痕である。 1957


時代と共に崩れゆく炭住である。
昭和35年には布伏内の人口が5,455人。
かつての雄別炭鉱の盛況ぶりが窺える。 炭住


布伏内市街にあるシュンクシタカラ湖への入山路。
現在、シュンクシタカラ林道も東のオロエンナイ林道も路面が消失して通行止めだ。
シュンクシタカラ湖は1970年代に人工衛星によってその存在が確認された幻の湖である。 シュンクシタカラ湖


シュンクシタカラ林道を徒歩で進む。
奥雄別地区まではおよそ3.5時間程度。
十分な獣害対策をした上でテンポよく進む。 アプローチ


林道の名残、「警笛鳴らせ」の標識が残る。
2013年頃までは車両でも通行できたとのこと。
現在は轍も定かではない。 警笛鳴らせ


林道跡は終始、シュンクシタカラ川の左岸を進む。
シュンクシタカラのシュンクとはアイヌ語でエゾマツを意味し、
シタカラとは鳥の鳴き声の意らしい。 シュンクシタカラ川


携帯電話も圏外であり、ここまで山中だとラジオも入らない。
自分はメディアで再生できる防水スピーカーに、
録音したラジオなどを流しながら歩いている。 林道


「落石注意」の標識も残る。
度重なる台風の影響か、
路盤は何か所もで決壊している。 落石注意


ご覧のような倒木が道を塞ぐ。
かなりの個所に倒木があり、
長い時間、この林道は整備されていないようだ。 倒木


やがて致命的な落橋の跡に遭遇する。
アバット(橋台)が台風で流出し、
ピア(橋脚)だけが残り路盤が折れるように 垂れ下がっている。 落橋


苔むして滑りやすい落橋を進む。
赤いガードレールは珍しい。
この橋を超えてもルート的にはまだ半分も来ていない。 落橋



立派な左右の掘割と、
雨による土砂流出に伴う林道の崩壊箇所。
複数個所で路盤が決壊している。 掘割


落石の脇を進む。
ようやく入山から11q、
もう少しで奥雄別西部疑定地である。 落石


林道の脇には平場がある。
山中には珍しい、
広大な敷地だ。 平場


平場の脇には小滝があり、
その北方は人工的な雰囲気だ。
周辺を探索する。 滝


付近には一斗缶が朽ちている。
恐らく炭鉱施設、奥雄別西部向卸に到達だ。
坑内の通気を司る、排気扇風機施設跡だ。 一斗缶


トタン製の波板が残り、ここには何らかの建屋があったようだ。
波板は形状の名称で、波状に加工されていることにより縦方向からの力に強く、
トタン板は亜鉛メッキが施された鉄の板のことで、これは素材の名前だ。 波板


更に上部にはコンクリート製の土台がある。
これは恐らく原動機(モーター)か扇風機の設置土台だ。
扇風機には種類がある。 遺構


扇風機は多数の羽根を軸の周りに取り付けてこれを回転、
空気に推進力を与えて風を起こす装置である。
構造上、渦巻式扇風機と軸流扇風機がある。 アンカー


渦巻式扇風機はシロッコやターボと呼ばれる炭鉱通気では主流の形式で、
レンジフードのような形状で遠心力により風向きは直角に変わり排気される。
坑口からダクトで自由な位置に配置でき、坑口を他の用途と兼用できる。
ただし、ファンを逆回転させても風向きは変わらない。 マウスon 渦巻式扇風機


軸流式扇風機はプロペラ式の形式で、坑口に直接据え付けるため通気専用坑口となる。
その反面、効率よく設備の容積が小さくできる。
また逆回転させれば風向きも逆となる。 マウスon 軸流式扇風機


排気風洞施設は主に扇風機土台しか残留していない。
坑口跡は埋められたのか、
その痕跡は見当たらない。 奥雄別西部向卸


碍子が散乱している。
ここまで電気が引かれていたことが驚きだ。
当時、低気圧の接近には注意が必要だった。 碍子


気圧が上がれば炭層に空気が入り込む。
その後気圧が下がればガスが湧出する。
空気の出入りにより、酸化が促進されそれは自然発火の要因となった。 アンカー







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扇風機土台
扇風機土台

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