過渡期の大正6年、そして昭和29年


アプローチから廃道だ。
丘陵部の谷間を縫って、
炭鉱跡を目指す。 アプローチ


鉱区に入ると遺構が散乱している。

ボイラーは産業革命の推進役となった原動機だ。
水力から蒸気、そして蒸気から電力へと変貌した。 遺構


付近にはRC製の基礎も残る。

ボイラー自体の大きな転換期は昭和29年(1954)頃と言われている。
そこで耐圧が6MPa(60kgf/cm2)から25MPa(250kgf/cm2)に大きく上がったのだ。 廃祉


ボイラー自体の耐圧力が上昇した要因はその構造にある。
それまでのボイラーのドラム/胴はリベット止めだったのだ。
ところが溶接技術の発達からリベットは廃止、高強度のボイラードラムが製造されることとなる。 マウスon リベット


鋼材の遺構が朽ちている。

溶接ボイラーが全盛となった20世紀後半以降は、
驚異的な速さであらゆる技術が進歩していく。 鋼材


鋼材の先の廃道を追うと大きな車輪がある。
蒸気発生器、ランカシャーボイラーに到達だ。
大正期の遺構、その成れの果てだ。 ランカシャーボイラー


車輪のようなものは鋳鋼製のプーリー。
その自重によりフライホイールのように回転する。
これは恐らく発生した蒸気の圧送機のようだ プーリー


圧送機は気体を圧縮してより多くの量を送るための装置だ。
ファンは大気の1.1倍、ブロワは2倍、
圧縮機はそれ以上に圧をかけて送ることができる。 シュンクシタカラ


鋳鋼製のプーリーの中心穴にはキー溝がある。
駆動軸のシャフトと固定するためのマシンキー用の溝だ。
蒸気モーターと接続され、圧送機を運転したのだ。 マウスon キー溝


圧送機の下流の管路に抵抗があると、蒸気は流れにくくなり、
圧送機の翼に抵抗が掛かり異常振動が起こることがある。
これが『サージング』と呼ばれるもので、流量の管理が重要となる。 圧送機


圧送機のターボファンも残る。
気体は圧縮すると温度が上がる。
温度が上がれば密度が落ち、抵抗は減るが、翼付近の内部乱流には工夫が必要だ。 ターボファン


こちらはプーリーに挿入されるシャフトのようだ。
直径100oの鋳鋼製で、
マシンキーごと切断されている。 マウスon マシンキー


少し離れた場所にはレンガ製の隧道跡がある。
ランカシャー・ボイラーは地面下に掘り下げて設置されるため、
蓄熱の効率が良いものの、煙道が必要となる。 煙道


この隧道はレンガで組まれた排気用の煙道のようだ。
地下煙道は湿気が溜まりやすく、
またボイラー自体の重量も大きいので地盤沈下の懸念もある。 煉瓦


ボイラーで重要な要素は圧力を一定に保つことである。
燃焼効率により圧力過昇となった場合は安全弁が開き、
多量の蒸気を放出することで多くの熱損失が発生する。 隧道



逆に圧力過降となった場合は、使用先での蒸気不足はもとより、
タンク内の飽和温度の急降下により自己蒸発が起こり気泡が発生、キャビテーション(=脈動)を誘発し、
降水管内の水循環が阻害されることとなる。 レンガ


そこでボイラーには自動燃焼制御装置が計装され、
ドラム内蒸気圧力をある限度以上に上げない、下げない、
限界速度以上で下げないように制御される。 土台


ランカシャーボイラの缶胴長は7.3m、胴径1.83m。
ボイラー本体自体は撤去されたようで、
土台と煙道、圧送機の痕跡が残る。 烟道


大正初年(1912)から炭鉱の電化は進み、
大正13年(1924)には全面的にすべての機器が電動式となる。
蒸気はそれまでのすべての主要な動力源であった。 トンネル


電化後の蒸気機関は消えることなく、
選炭場などの暖房や浴場用に供給され、効率高く集約されたものが、
総合ボイラー設備として各炭鉱に君臨した。 煙道


動力革命は水力から蒸気へと、蒸気から電気へと2段階が存在すると言われているが、
工場統計でいうと、大正6年(1917)に電動機馬力数が汽力率を凌駕し、
ここを境に電化率が加速したとされている。 キタキツネ







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排気煙道
排気煙道

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