東洋高圧、そして滝川火力発電所へ
芦別は明治26年、山形県からの移住者によりはじめて開拓の基礎が引かれた。
明治30年からの石炭産業の発展は、
やがて人口7万5千人の「炭鉱のまち芦別」を築くこととなる。
根室本線 平岸と芦別の間、高根川に沿ってアプローチする。
紅葉の終わりの季節、
探索にはベストシーズンだ。
鉱区に入るとすぐに遺構がある。
一部レンガとなっており、
ボイラーか変電などに関する施設跡のようだ。
高根川に沿う事業用地帯には、
各坑坑口、事業用建築物、住宅、学校、索道施設などが、
すべて集約して建設されていた。
ここからは予定の位置まで廃道を進む。
高根鉱業所での原炭の搬出は当初馬により行われ、
やがてそれは架空索道に移行し、後半にはトラック輸送に切り替えられた。
しばらく遡ると森の中に廃墟の発見だ。
どうやらここが目的の排気風洞の跡で、
予想よりも手前の地点に存在した。
円形の『内筒直通マンホール』、そして軸流ファンと繋がるコンクリート製建屋。
目的の排気風洞施設に到達だ。
地下坑道から汚れた空気を吸い出し換気する施設跡だ。
施設の全長は7m程度、
内筒直通マンホールの直径はφ1,200である。
外観から確認してみよう。
施設はコンクリートと鋼製で、
苔むしたコンクリートは粗悪な感じがする。
昭和中頃の雰囲気ではなく前半の遺構のようだ。
裏側には亜鉛めっき鋼板(=トタン)製の扉がある。
これは内部機器のメンテナンスのための扉か、
風向きを変える仕切戸ではなさそうだ。
扉には「出入りを禁ずる」の文字が残る。
蝶番も独特の形状で、
重厚な扉のようだ。
芦別市の何らかの届出済み証の銘板がリベット止めされている。
恐らく電気の関係の許可証のようだ。
軸流扇風機を駆動する電動モーターに関するものかもしれない。
扇風機建屋の延長にはRC製の基台がある。
巨大な電動機が設置してあったようだ。
基台もひどく苔むしている。
炭鉱の坑道は原炭の搬出用、人員や資材の入坑用などの用途があるが、
入排気と兼用することにより、出入りの操作が重複し複雑化する。
それを避けるために排気/入気専用坑道が掘削される。
扇風機室内部は狭く荒廃している。
目立った機材は何もなく、
一部壁は崩れている。
内筒直通マンホール部は円形を維持している。
プロペラかシロッコのファンが駆動していたようだが、
相当な騒音だったのだろう。
マウスon シロッコファン
亜鉛めっき鋼板の扉内側は、
木製の補強が為されている。
木造の遺構が残存するのは稀だ。
こちらは緊急時に風向きを変更する入気坑道のようだ。
特にシロッコファンの場合は回転方向を変えても風向きは変わらない。
このような別通気回路を用いて風向きを変えるのだ。
高根鉱業所で採掘した原炭は、
東洋高圧(現北海道三井化学)や北海道電力の石炭火力発電所、
今は無き滝川火力発電所に納炭された。
付近にはこの風井だけが単独で残る。
高根鉱業所の稼働は29年間。
その内どれだけの期間、この排気風洞は運転したのだろう。
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