国鉄遠佐線の夢



佐呂間別川の一支流から入山する。
4月中旬とはいえ、前日に降った雪で、
うっすらと地表が覆われている。 アプローチ


沢の最上流域を更に登る。

付近の市街、若佐の西に武士という地名がある。
武士は大正の初め、大きな市街地であった。


ヒューム管のような遺構がある。

武士市街にはかつて獣医、鍛冶屋、馬具屋、床屋、菓子屋などがあり
三十数戸が軒を並べていた。 アプローチ


残雪の中に遺構が残る。

盛んに入植が進んだ中、道路が開通せず終点だったことが
武士市街地の形成を加速させたようだ。 遺構


更に上流には平場がある。
恐らく鉱区に入ったようだ。
やがて武士市街は計呂地に通じる道路完成と共に過疎化が進む。 平場


更に進むと人工的な土盛りの様な一画がある。
これは火薬庫に付随する土堤(どて)ではないだろうか。
周囲を確認してみよう。 火薬庫


土堤は全体を囲った上で、
内部を2か所の区画に遮っている。
建屋は既に無いが、火薬庫の跡で間違いないようだ。 マウスon 土堤


土堤と土堤の間には、
建物の基礎らしきコンクリートの遺構がある。
火薬庫らしくベタ基礎のようだ。 土堤


火薬庫は小さな建屋のようだ。
火薬取締法でも基礎は堅ろう高位とし、
かつ排水に留意することとの規定がある。 火薬庫


土堤を俯瞰すると、
全体が囲われていることがわかる。
火薬量の貯蔵容量ごとに土堤の規定が細かく制定されている。 マウスon 土堤


火薬庫からは完全な廃道を遡る。
鉱床図にある坑道はさらに上だ。
地形は読図してあるので、あとは頂を目指す。 廃道


しばらく登ると一直線に掘割のように窪んだ道筋がある。
溝のように低くなった直線は、
恐らく地下古洞が陥没した跡ではないだろうか。 掘割


人工的な掘削跡ではなく、
地下坑道が崩れたことによってできた、
埋没跡のようだ。 坑道


埋没跡は数百m続く。
まずは上流域に登り、
その終端を確認する。 古洞


上流部の終点は突然やってくる。
いきなりの壁となり、この高さ分陥没したということだ。
足元には小さな穴がある。 終端


坑道の開口部だ。
しかし直下に向かって下っている。
支保工も見える。 坑道


坑口は小さく亀裂でしかない。
もともとは本来の坑口ではなく陥没によって現出した坑道である。
一気に下っており、これは危険すぎて入れない。


小さな坑道跡を背に今度は埋没跡を下る。
長年かかって坑道跡がここまで蹂躙されるのも珍しい。
自然の掘割の中を進む。 掘割


掘割下流の終点には大きな坑口がある。
坑口というのは正確でなく、
たまたま崩れて地表に露出した坑道の成れの果てだ。 坑口


坑道に入り坑口付近を振り返る。
太い支保工も残り、
結構な高さもある。 坑口


酸素濃度も20.9%と問題ない。
埋没に注意して奥へ進む。
あまり距離は続いて無いようだ。 酸素濃度


坑道は内部で上下に分岐するが、
それ以上に深くは掘削されていないようだ。
鉱脈に向かって掘る坑道は立入と呼ばれる。 坑道


最終的には15m程度の最奥で埋没している。

冒頭の近隣市街地、武士の町には、
かつて鉄道敷設計画があった。 坑道


遠軽〜佐呂間で計画された国鉄遠佐線は大正時代から誘致、
武士市街には駅予定地の仮測量も施行され、
昭和2年には盛大な祝賀会も開催、
しかし9年後に湧網線が開通、遠佐線は夢幻泡影と化した。 坑口







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坑口
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