宮川鉱山 選鉱場跡 探検: 北の細道 秋田県鹿角市秋田県鹿角市

宮川鉱山 選鉱所跡の打込接を登る



秋田県鹿角市

   大正6年(1917)当時の日本の産金量は年間6t、銀は231tに達していた。
その後、大正12年(1923)になると 為替の下落と金市場価格の高騰により、金の年産は8.5tに増加する。

大正末期から昭和の初めにかけては、第一次世界大戦の影響で世界恐慌が発生、
物価の下落と共に、価値の変動が少ない金の採算性が有利となる。
そこで政府は産金奨励を打ち出し、鉱業税の免除や金鉱石の鉄道運賃割引などの助成を実施した。

昭和13年(1938)には『日本産金振興株式会社』を設立、
政府援助の補助金による有望地帯への探鉱を奨励したり、
産金の割増買い上げ、貧鉱処理助成など資材・労働配給の円滑化を図る。
その成果として昭和14年には未曽有の産金29.5tに達した。

しかし残念なことに、昭和の初期までに蓄えられた大量の金は、
第二次大戦の軍用金として石油・鉄・アルミニウムなどの資材にとって代わってしまった。
そして昭和18年(1943)、戦時体制に入ると金は直接戦争に役立たないとして、
政府は、一部の優秀金山20山を残してすべての金山を休山させてしまう。
これが金山整備令で、本年度の産金量は2.4tに落ち込むこととなる。

今回紹介の選鉱所は人知れず山中に残る巨大遺構である。
苔むした石垣や蔦の絡む廃祉が森に眠る。
アプローチは険しく、坑口群とはかけ離れた位置にある選鉱施設を地形図上で推論、
ようやく到達した遺構を紹介したいと思う。




石垣・粉砕・浮遊選鉱・・・



クラッシャー
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