頭文字『〒』
建屋は1階建て、坂の上にある。
当時の電信電話業務は郵便業務と共に逓信省管轄、
街では重要な施設であったのだ。
内部は天井も高く、いくつもの部屋がある。
浴室、消火栓と文字が目に飛び込む。
宿泊して常駐できる施設だったのだ。
比較的大きな広間もある。
事務所の様な一角だ。
備品はほとんどが撤去されている。
報話局と書かれた配電盤が残る。
報話局とは電報電話局の略であろう。
ここには通信機器が整然と並んでいたのかもしれない。
壁には蓄電池の銘板がある。
「GS 蓄電池 昭和42年10月製造」
今でいうUPS、無停電電源装置、停電時のバックアップ電源かもしれない。
白川電機製作所製 配電盤がある。
現存する大正2年創業の電機メーカーだ。
未だ残る当時の痕跡の一つだ。
壁を隔てた別部屋には石炭を利用したボイラーのような遺構がある。
暖房用か厨房用か、
24時間常駐しての作業が伴っていたのだろう。
(マウスon ボイラー)
建物内の酸素濃度は21.8%と問題はない。
密閉された廃墟内は酸欠の恐れもある。
十分注意しての探索となる。
こちらは消防設備である火災報知器だ。
時代後半に設置された機器のようだ。
マグネットSWが最近の部品のようだ。
調整室とあるが何を調整したのだろう。
どうも電報電話以外にも建屋が使用された形跡がある。
更に探索する。
調整室内部には簡易な机とスチロール製の皿が散らばっている。
後にキノコの菌種を生産する作業に使用されたようだ。
余剰の建屋を有効再利用したのだろう。
最も東側は光の差し込む大部屋だ。
ここは電報電話局時代の窓口のようだ。
来客などの対応はここで行っていたらしい。
玄関に向かって窓口が残る。
逓信省(ていしんしょう)は、
明治18年(1885)に新設された通信と交通運輸行政を総轄した官庁である。
玄関の保存状態も良い。
逓信省は明治初期に通信を司った官庁『駅逓局』(えきていきょく)と
『電信局』『灯台局』それぞれから移管して発足した。
建屋は約14mの長さがある。
市街地の郵便局と比較しても大きな建物だ。
『逓信』という名称も駅逓と電信から一字ずつとったとされる。
別の小部屋にはかまどの跡がある。
ここは厨房のようで、
食器類なども残っている。
逓信省(ていしんしょう)の業務は、
郵便、貯金、電信、海運、鉄道・航空行政と機構が膨大となったために
運輸通信省の新設と共に解体整理、通信院として発足する。
これは珍しい6玉のそろばんだ。
中国から伝来した時には7玉で、やがて6玉に、
昭和10年の文部省の省令により現在の5玉に変化した。
廊下には乱雑に備品があふれている。
通信院として発足した後、
昭和24年(1949)郵政省と電気通信省に分割された。
浴室はすでに何もなく、荒れ果てている。
郵政省は統合、総務省となり、郵便事業は国営公社の日本郵便公社に引き継がれ、
その後、ご存じのとおり民営分社化された。
トイレや生活に必要な設備はすべてそろっていたようだ。
電話の進化と共に、不要となった交換施設、
電話交換主の業務は当時の女性の花型業種であったそうだ。
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