オリーブの夢
訓子府町は常呂川中流域の街である。
昭和26年(1951)町制、アイヌ語の『クンネプ』(湿地が多く黒いところ)に由来する。
農林業が中心で木材工業も盛んな静かな街だ。
秋の森へ入る。
車道はなく、緩やかに登っていく。
目指すは5号1坑と呼ばれた坑道だ。
ポンオロムシ川を渡り、紅葉の森を進む。
マンガン鉱石の国内消費状況は、
全体の90%が製鉄関連、残り10%が化学薬品や飼料用となっている。
所々に平場がある。
かつては鉱山関連施設があったのかもしれない。
目指す1坑までは約1qだ。
付近の河原の鉱石を確認しながら登る。
山形県酒田市へ鉱送との記述が資料にあったが、
酒田市はかつて8世紀から12世紀まで続く製鉄遺跡が多数出土している。
酒田市だけでも6か所の製鉄炉遺跡が発見されており、
天然の良港である酒田港からの大浜臨海工業地帯には、
現在までに化学、金属、鉄鋼などの巨大プラントが林立している。
当時の鉱山道路の様な廃道が続く。
前述のように東北の製鉄業界にマンガンが鉱送されたのは、
距離があるとはいえ当然の結果だ。
資料にある様似の製錬所、これは恐らく旧東邦電化株式会社日高工場に存在した、
玄武岩中の橄欖岩(かんらんがん)にふくまれるオリビン砂を製造する工場ではないかと推察している。
オリビンサンドは尖った結晶で滑り止め砂などに流用される。
いくつかの谷沿いを進む。
橄欖岩はマントル付近から隆起したもので、
オリーブ(olive)色をしていることから、「オリビン(olivine)」と表記される。
付近はズリ山の様相だ。
オリビンサンドは融点が高く熱衝撃に強い。
よって
「鋳物骨材」
溶かした鉄を流し込んで作る鋳鋼用の砂型
に利用される。
いよいよ坑口に到達だ。
オリビンサンドの最大の特徴はマンガンと反応しないことで、
マンガン鋼鋳物用の鋳鋼型として相性が良い。
5号1坑、閉塞せずに残存していた。
酸素濃度等を計測しつつ内部に進む。
オリビンサンドのメーカーがかつてマンガンの選鉱を行っていたのかもしれない。
鉱床図からも深さは40m程度、
奥まで進んでみる。
乾燥した坑道で環境は悪くない。
支保工も残る坑道内部。
そもそも東北で製鉄業が盛んとなった理由は、
律令国家の対蝦夷政策にあった。
つまり律令国家とは律(してはならないこと)と令(法律)に基づいて、
支配を行った古代統一国家のことで、
当時、蝦夷の激しい抵抗を受けながらも東北支配を拡大していき、
その根底を支えたのが東北の古代製鉄であった。
その先で掘削は終焉している。
かつては蝦夷(北海道)と戦っていた東北であったが、
やがて時代の変化と共に鉱石の授受が行われたのも、必然の産物だと言える。
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