古老の寂寞
アプローチは沢沿いの標高120m付近、
海からは6q上流域だ。
雪解け直後の春の山へ。
沢に沿って遡る。
本坑の発見は大正初期、
一時的に企業経営がなされたという。
沢はいよいよ最上流域の様相だ。
休山後、昭和11年(1936)から再び企業による採鉱が始められた。
鉱床図に従い更に登る。
写真ではわかりにくいが、
明らかに人工的な平場がある。
周囲の自然とは明らかに異なる、人の営みの跡だ。
沢沿いにはレールが朽ちて残る。
高さは63oあるので、おそらく9kgf級。
鉱山跡に到達だ。
崖上にも平場が残る。
恐らく何か建物があったようだ。
昭和13年(1938)頃が最も盛況であったと資料にはある。
鉱床図に従い、沢を渡りさらに上流へ進む。
付近の鉱床は粘土質で、
採掘条件が悪く、それで採掘を中止したらしい。
しばらく登り石垣の発見に至る。
自然の風景を破る、
明らかな人工物だ。
組まれた石垣は沢沿いにあり、
橋台跡か積込施設だと思われる。
鉱石搬出の軌道があったのだろう。
別の地点ではレールが埋没している。
昭和37年(1962)には再び電気探鉱と試錐が行われた。
その後、坑道掘進の準備が行われたと資料にはある。
その坑道を追って、更に山中へ分け入る。
すでに道はなく、
辛うじての鉱山道路跡の様な痕跡がある。
沢はいよいよせせらぎとなる。
大滝鉱床と呼ばれた部分では、
当時すでに坑道はほとんど破損との記載がある。
鉱泉の跡の様な枯れ沢がある。
白濁した湯の華のようなものが岩に付着している。
これを追ってみよう。
枯れ沢の最上流は砕けた崖となっていた。
おそらく坑道が存在したはずだが、
今は埋没してしまったようだ。
集落まで下り、古老に鉱山のことを尋ねたところ、
もう何もないよ、とのこと。
当時を知る人物からすれば、石垣やレールは何もないに等しいのかもしれない。
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