謎めく貯水槽


アプローチは長らく使用されていない林道だ。
標高は137mと意外に低い。
ここから北部に向かう。 アプローチ


しばらく進むと河原に配管の遺構がある。
太さは100A程度、
取水施設や浄水場は資料にはない。 配管



少し上流には小屋と施設の廃墟がある。
どうやらこれは配水池か浄水池、
水を一時的に保管する設備のようだ。 浄水場


RC造の上には2基の開閉台がある。
浄水場などにおける地下埋設バルブの開閉操作を直接行うことが出来ない場合に、
操作軸を延長して地上部で開閉操作ができる装置だ。 開閉台


人里離れた山中の水利設備。
恐らくこれは、鉱山の選鉱用水を供給する浄水設備だと思われる。
鉱床図にも水槽の記載がある。 浄水場


貯水施設から山に入るとやがて選鉱所が現れる。
資料にある第一選鉱場の位置と合致する。
ここが最下層のようだ。 選鉱所


上部の平場にはコンクリート製構造物が朽ちている。
この盤上のアンカーは粗鉱の重量を計る秤量器を設置する基礎かもしれない。
坑道からトロッコで運ばれてきた鉱石の重量を計測するのである。 コンクリート製構造物



他にも苔むした基礎が多数残る。
今は想像でしかないがベルトコンベアーの設置アンカーや、
粗鉱を砕くための装置が設置されていたかもしれない。 基礎


カスケード、つまり連続した小さな滝のように、
斜面に段々と残る遺構群。
重力に従い上から下へ鉱石を処理する。 カスケード


巨大な石垣とコンクリート構造物が組み合わさる。
これはクラッシャーなどの破砕機から流される、
シューターなどの設置場所かも知れない。 石垣


第一選鉱場の最上部には、
地山を平坦に馴らした一角があり、
これは坑口からのトロッコ軌道の跡のようだ。 トロッコ


ここからは標高を維持したまま、
第二選鉱場を目指す。
第一選鉱場が20t/日に対し、第二選鉱場は50t/日だ。 土留め


目標物の無い山中をコンパスとGPSに従って進む。
第一選鉱場の完成が昭和18年(1943)4月、
第二選鉱場の稼働は昭和20年(1945)6月からだ。 山中


やがて眼下に見えてきたのは石段と石垣。
これは坑道から運び出したばかりの粗鉱を貯鉱する粗鉱舎の跡かもしれない。
木造の建屋があってもおかしくない。 選鉱所


第二選鉱場に到達だ。
付近は網目を回転させて粒や粉、塊に分離するトロンメルなどがあったようだ。
トロンメルでふるいに掛けると15oを境目に鉱石が分けられる。 トロンメル


15o以上の大塊は再びクラッシャーに戻され再破砕される。
それぞれ大きな振動を伴う機械のため、
残るアンカーも巨大なものが多い。 ふるい


精巧に組まれた石垣が残存する。
クラッシャーを経た原鉱でも破砕が不十分なものは、
コンベアーで運搬され、何度もクラッシャーに掛けられたという。 石垣


長大な壁のような遺構が山中に残る。
水を使用せず破砕を行うのが乾式選鉱、
ボールミルのように水と混ぜて行うのを湿式選鉱と呼んでいた。 壁


直径6m程度の大きな貯水槽が2基ある。
貯水槽内部は樹木が茂り、深さは3m程度ある。
浮遊選鉱に使用する大量の水を保管していたようだ。 水槽


貯水槽内面と上端部は型枠のズレやコンクリートの継ぎ目が見られ、
型枠を施して施工されたことがわかる。
特に内面と上端の端面(マウスon)は蓋をするためか丁寧に処理されている。 マウスon 端面


逆に貯水槽外面には型枠の痕跡がなく、
地山を円筒形に掘削し内面部の型枠との間にコンクリートを流し込んだようだ。
外面上端(マウスon)に残る余剰コンクリートがそれを物語る。 マウスon 外面上端


選鉱所の壁は高く巨大な施設だ。
精鉱量がピークとなったのは昭和28年(1953)で、
28.43tの精鉱を産出、その品位は84%であった。 選鉱所


貯水槽の水は雨水ではなく浄水を利用し、
浮遊選鉱で使用した水を再利用する
循環型の貯水施設だったようだ。 選鉱施設


再び選鉱場から道なき道を登ると、
鋼製の遺構がある。
電気施設か当時の制御の機器のようだ。 遺構


選鉱所から北東の坑口を目指す。
ルートは完全廃道となり、
藪をかき分けて進む。 廃道


少し登るとズリ山の一角に到達した。
人工的に割られた鉱石が散乱している。
坑口が近い証拠だ。 ズリ


急に輸車路のような廃道と交差する。
大きく雨で掘れた旧鉱山道路。
この延長に坑口が残るはずだ。 輸車路





写真ではわかりにくいが、
明らかに人工的な平場が現れた。
鉱山跡の原風景だ。 平場


完全に封鎖された坑口の発見だ。
資料には『輝泉坑』とある。
延長は104.5m。 輝泉坑


さらに上部の『信徳坑』を目指したが、
こちらは土砂崩れで閉塞したようだ。
小さな鉱山跡の大きな痕跡跡はいつまでも残る。 信徳坑








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