精進川鉱山跡 探検: 北の細道

精進川鉱山でまだらの坑口を見る




北海道七飯町
1895年(明治28年)焚火の火が石に燃え移ったことから発見された本鉱床は
1937年(昭和12年)頃から「精進川鉱床」と「雨鱒川鉱床」として開発された。

本鉱山は主に硫黄と褐鉄鉱を採掘し、
かつては「幌別鉱山」に次ぐ硫黄鉱山で盛況時には小学校も建設されるほどの賑わいを見せた。

当時の硫黄鉱の採掘は坑内掘りと露天掘りであったが
坑内掘りは柱房式とシュリンゲージ法を併用、
露天掘りはグローリーホール式を採用し、品位35%を標準とし、
削岩機を用いた採掘、手押し・ガソリン機関車併用の運搬方法をとった。

硫黄製錬は焼取式精錬法で、遊離硫黄を蒸発させ、その硫黄蒸気を導管を用いて沈殿管に導き、
液化して硫黄を冷却固形した。
当時の設備としては、石炭式製錬窯10基を有していた。

昭和27年には硫黄と硫化鉄の産額がそれぞれ7,346t/17,463tとピークを迎えるも、
鉱毒問題、労使問題で事業不振に陥り、昭和34年をもって閉山と相成る。


現在は鉱水処理の研究などが、定期的に行われ、
棄てられた鉱山の雰囲気は少ない。
今回は坑口を含め諸施設を探訪してみたい


精進川鉱山 精進川鉱山

硫黄、火山、坑道・・・





精進川鉱山
坑口跡



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