雲隠れする選鉱施設


軌道跡が道路に転用された林道を歩く。
当初は馬車軌道による鉱石搬出、
軌道に並行する道道建設後はトラック輸送に切り替わったという。 軌道跡


旧鉱に向かい林道を進むと対岸に車両がある。
どうやらピックアップのトラックのようだ。
渡渉して接近する。 廃車



廃車は平ボデーのトラックだ。
荷台の腐食も激しく、
相当の年数が経過しているようだ。 平ボデー


これは1972年から1979年まで生産されたダットサントラックだ。
620型と呼ばれる7代目で、
ドア横の『ウイングライン』と呼ばれるデザインが 特徴的だった。 620


ここからは鉱山道路の廃道に沿って進む。
鉱床図には通洞と一号坑などが記載されている。
痕跡に注意しながら進む。 廃道


付近にはガードレールが朽ちており、
ここが鉱山道路であったのは間違いないだろう。
坑口を目指して進む。 ガードレール


辛うじての切通しも痕跡が消えかかっている。
大正時代には熔鉱爐が建設されたが、
その後一旦休業したという。 切通し



更に山中に進むと、
写真ではわかりにくいが、
人工的な平場がある。 平場


周辺には鉱山跡にありがちな一升瓶が残っている。
内部にまで植生が及び、
瓶の中の森のようだ。 瓶


奥にはドラム缶を加工した桶のようなものがある。
これは鉱山跡の痕跡で間違いない。
人工物ではあるが用途は不明だ。 ドラム缶


ドラム缶の上部を切断し、
四方に壁が溶接してある。
水瓶か風呂のような様相だ。 桶


井戸用の手押しポンプが設置してある。
弁の付いた蓋を上下させて水を汲み上げる機構で、7〜8m程度の深さまで対応できる。
付近は鉱山事務所か社宅があったようだ。 ポンプ


更に川を遡り、
3か所の坑口の探索を行ったが、
通洞坑含めその発見には至らなかった。 坑口


更に上流の別鉱床を目指す。
大正時代の休山後、昭和15年(1940)から再開され、
戦時中も引き続き稼行された。 砂防ダム


浮遊選鉱所は戦時下に建設され、
昭和27年(1952)からの企業経営後は、
付近の地表調査、電気探鉱も積極的に行われた。 廃道


かなり遡ると巨大な石垣が山中に現れる。
選鉱所の廃祉に到達だ。
最終的には年間2,000t級処理の施設に改築されたようだ。 石垣


石垣は隙間なく強固に積み重ねられている。
石垣表面の角度が一定となるのは、
後部から支える『飼石』と呼ばれる存在があるからだ。 石垣


残存する浮遊選鉱所全景である。
選鉱所は最上段に運ばれた原石の鉱石を、
砕き、磨り潰し、薬剤や泡を使って金属成分を分離する施設だ。 選鉱所


処理前の鉱石は大きさが15p程度。
これをまず、鉄の爪や回転する棘、鋼球を使って、
粒状に粉砕する。 浮選


粉砕する装置はミルやクラッシャーと呼ばれ、
その工程は砕鉱(さいこう)と呼ばれる。
衝撃や摩擦を使って細かくするのである。 粉砕


粉状になった鉱石は水と混ぜられ泥状となる。
これに薬液を混ぜて金属成分だけが泡と結びつきやすくする。
その後水槽に投入される。 浮遊選鉱


水槽内では細かな泡や振動をもって、
泥の中の金属成分だけを上部表面に浮き上がらせる。
これを回収する。 浮選


その後、より精度を上げるために、
比重差を利用した浮き沈みを使って、
より精巧な金属成分だけの抽出を行う。 選鉱


抽出した金属成分は液状のため、
濃縮やろ過を行い、水分を除去する。
この工程で使用されるのがフィルターやシックナーである。 砕鉱


選鉱工程の目的は金属成分の初段階の分離である。
その後、熱や化学反応を用いて、
より精度高く金属成分を抽出するのが『製錬』である。 製錬


その後さらに不純物を取り除き、
電気や薬品を用いて製品化する工程が、
『精錬』である。 精錬


つまり本施設では初期工程の選鉱のみが行われていたこととなる。
製錬は別の製錬所にて、
精練は瀬戸内海などの電気炉のある施設で施工されていた。 選鉱


冒頭で解説した『戦時規格型標準選鉱場』の標準規格には、
「防空用に遮光に留意すること」の一文がある。
これは戦時下ならではの興亡史の断片である 。 戦時下








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