金山整備令の副次的効果

生田原町は合併特例債などの財政支援策が講じられた『平成の大合併』により、
遠軽町、丸瀬布町、白滝村の4町村とともに、
平成17年(2005)に新たな「遠軽町」となった。 生田原


まずは浦島内川に沿って登る。
生田原の「原」は濁らずに
「イクタハラ」または「イクタワラ」と読む。 浦島内川


静かな道道を進むと、付近にはエゾシカが多い。
日本鉱産誌(1955)によると日本にはかつて621の金山があった。
北海道には67か所、あとは東北と鹿児島などに分布している。 エゾシカ



上流には開拓農家の廃墟が点在する。
一般的な金属鉱石はイオン化傾向が大きく、
つまり陽イオンになりやすいため、他の元素と結びついて化合物となりやすい。 開拓農家


上流域まで離農した農家の建物が残る。
対して金・銀・銅はイオン化傾向が小さいため、
化合物となりにくく金属単体として産出するため見つけやすい。 廃墟


浦島内川の最上流域へ到達した。
かつて付近には岩戸集落という入植地が存在したが、
現在はほぼ痕跡がない。 浦島内川


付近の唯一の痕跡はこの『岩戸小中学校跡』の石碑のみだ。
金・銀・銅・鉄、これら金属は、
現在の穏やかな地球上では新規に形成はされない。 岩戸小中学校跡


鉱山時代後半に栄えた辰巳鉱床付近に入る。
金・銀・銅・鉄は陽子を多く含んだ重い原子核と持っている。
鉄は26,銅は29,金は79個でその原子核の周りを同数の電子が回っている。 探索



小動物の骨が散乱している。
リチウムは3個、マグネシウムは12個などに比較してその含む陽子数が多い金などは、
宇宙空間の爆発時に生成され地球に含まれたものだと考えられている。 骨


疎らに岩石が転がり、もしかするとズリ山かもしれない。
銅や金のような重い原子核は、2つの軽い原子核が合体して形成される。
これを核融合反応という。 ズリ山


深い山中にペール缶が転がっている。
重い原子はたくさんの軽い原子が合体しないとできないので、少しの量しか存在しない。
金や銀の希少性の原因はここにある。 ペール缶


付近には若干の平場もあるが遺構は見られない。
金も銅もマグマで熱せられた熱水によって地中の割れ目に集められる。
またスカルンと呼ばれるマグマが石灰岩にぶつかって濃縮される場合もある。 平場


埋没した坑口のような部分もあるが確証は得られない。
銅は海底熱水鉱床がプレートの動きで地下深部に押し込められて変性する、
『キースラガー』と呼ばれる変成鉱床でも産出する。 坑口


こちらも坑口疑定地だが坑道の確認には至らない。
金と銅、これらは同じマグマの作用による集積を起源としていることから、
本鉱山のように同じの鉱床に存在することとなる。 ズリ


矢矧鉱山の鉱量と品位を時系列でまとめると以下となる。

  年度   鉱量(t)   金(g/t)   銀(g/t)
 昭和13  123  3.5  15.0
 昭和16  4,000  5.0  不明
 昭和18  125  15.0  不明
 昭和20  休山により  銅鉱床の  探鉱実施
 昭和25  16  10.5  520
 昭和27  673  9.6  458
 昭和29  82  5.6  317
                         【日本の金山誌 第2編 北海道より】

付近にはズリ(排石)が散らばっている。
昭和19年からの金鉱区休山により、
隣接の銅鉱地を探鉱し銅鉛亜鉛の鉱床を開発した。 鉱床


付近でズリ山を発見したが、これが唯一の痕跡となる。
銅鉱山として再生した時期は銅資源が需要緊要のときであったが、
資金難を理由に昭和21年(1946)再び休山する。 ズリ山


人工的な色合いは深いものの、目立った遺構には巡り合えなかった。
昭和24年(1949)からは別子鉱業株式会社が権利を取得、
月産100tの鉱石を 国富鉱山に送鉱したが、同28年に閉山を迎える。 廃鉱










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