イーハトーブの絵空事

あまり使用されていない道道がアクセスの起点となる。
近隣の鉱山そして炭鉱は昭和35年(1960)頃に閉山している。
付近から道なき山中に入る。 道道


緩やかな尾根沿いをトラバースする。笹薮は低く、藪漕ぎに支障はない。
目指す発電所が稼働したのは昭和32年(1957)。
全村200戸への送電が行われた。 尾根


暫く進むと森に鉄塔が鎮座している。
架線は無くどこともつながっていない廃鉄塔だ。
赤外線で計測すると高さは25m程度。 鉄塔


恐らく66kv級のもののようだ。
等辺山形鋼が片フランジの部材で接合されている。
かつての電力の路の証だ。 廃鉄塔


ここからは廃道を延々歩く。
かつて宮沢賢治の思想に準じて村造りを行った村長がいた。
授業料無料の村立高校を建設し、村長自らもそこに通ったという。 廃道


付近には電柱が残っており、変圧器と避雷器のようなものが見える。
独創的な村の運営で日本初のスクールバスを導入、
心象世界にある理想郷を目指し、村営の発電所の建設に着手する。 変圧器


架線の無い廃電柱が残る。
本発電所は冒頭のTVAをモデルに、
昭和27年(1952)基礎工事に着手される。 電柱



谷地に下ると、そこにはRC製の遺構が散らばる。
昭和29年(1954)には付近工事現場から石油が噴出し、
一次的に工事は中断する。 コンクリート


ここは大きな水槽(ヘッドタンク)のようだ。
付近の送水管敷設は軟弱地質のため作業は難航、
予算は倍、工期は3年が7年に延長された。 上水槽


この水槽は上流2qの堰堤から無圧導水した水を一旦貯水する上水槽だ。
発電所の出力変化に合わせて、使用する水量を調節するタンクだ。
水中の土砂を沈殿させる二次的効果もある。 ヘッドタンク


余剰の水や機械停止時の水圧はこの水槽の右手に溢れ、余水路(滑り台)に流れることで水圧調整を行う。
溢れることで水圧を逃すため、
一般的なサージタンク(調圧水槽)は設置されていない。 サージタンク

上段の穴が発電所に向かう水圧管への水路だ。
壁の縦筋(マウスon)がスクリーン(除塵格子)の取付跡で
大きなごみを格子状スクリーンで捕らえて除去する網目の跡だ。 マウスon スクリーン


上水槽の背後にあるのは水路式発電所の無圧導水路、つまり水路隧道だ。
2q上流の堰堤(小ダム)から1/5000の緩勾配でここまで河川水を導くのだ。
最終的には送水管の崩落で運用停止、昭和47年(1972)北電売却後解体となる。 脈石


無圧導水路を進む。
上流の堰堤付近には滝が存在したらしく、
その落差に期待があったようだが、隧道の勾配はほとんどない。 遺構


足元には水が流れており、酸素濃度に問題はない。
上流堰堤には沈砂槽が設けられておらず、
「テンターゲート」(=ラジアルゲート)円弧状の扉体で、その曲線の中心を軸として回転することによって 開閉する流量調節をするための扉 等で貯水して、増水時などには開放する方式のようだ。 坑口


数百m進むとコウモリが飛び交う一角となる。
水蒸気が飽和して水分が体に纏わりつく。
足元が水没し脆弱な地形となったためここで撤退だ。 コウモリ


無圧導水路出口から上水槽、
そして発電所側水圧管方向を望む。
つまり上流から眺めた様子だ。 無圧導水路


水圧管を超えた奥には巨大な発電所の体躯が見える。
2階建て鉄筋コンクリート製、
白い建物だ。 発電所


対面から見る発電所全体像である。
河川の流れを堰き止めたダムや夜間の余剰電力で上部ダムに揚水し、
そこからの落差を利用した水流で水車を回し、発電機を駆動するのが一般的だ。 発電所


発電所の周囲は積年の風雪で劣化が激しい。
この発電所は水路式(流込式)と呼ばれる河川流量のまま利用する発電方式であった。
そのため流量に応じた出力となり、ほぼ一定の発電量となる。 発電所


発電所構内は意外と天井が低く地下室も存在しない。
導かれる水圧鉄管からの水を受ける水車がここにはあったはずだ。
落差が低いことから「フランシス水車」ケーシング(筒)内に水を導き内部のランナーと呼ばれる羽根車に水圧作用させる水車 が利用されたと思われる。 構内


施設面積は広く天井の低くいことから、水車と発電機が横に並ぶ横軸式であった可能性が高い。
発電機の下に水車が配置される縦軸式なら、地下室の存在があるはずで、
脈動なども少ないはずだが恐らくコストとの兼ね合いで横軸式が採用されたようだ。 建屋


中二階には詰所のような一部屋もある。
機器の設置個所や担当者のスペースもある。
昭和47年の解体からおよそ50年。 詰所



発電所下流に位置する余水路の出口坑門だ。
上水槽から溢れ出た水流はここに導かれ、
沢に放水、余剰の水圧が不具合を起こさないように考慮されている。 余水路



少し上流にも放流坑口がある。
発電に使用した後の水流を放出する放水口だ。
川の中央部までせり出している。 放水口


トイレや倉庫も残存する。
建設予算の高騰や工期延長は、
地場の電気利用協同組合の財政破綻の主因となった。 詰所



電気利用協同組合も施設解体の昭和47年(1972)に解散したが、
1,000kw超の水力発電を協同組合自らが建設し、
地域に電気供給していたのは道内でも2例しかなく、
儚いながらもそれは理想郷の夢を追った産物だと言える。 スレート


今回は 水力エネルギー庁の峰子様より多数の資料を提供いただきました。
この場をお借りしてお礼申し上げます。





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