発電所跡 探検: 北の細道 発電所

Hs発電所でTVAの片鱗に逢う



   アメリカ合衆国オハイオ州最大の支川であるテネシー川は、 7つの州を跨ぐ幹線延長1,045qの大河である。
水源地域はアパラチア山脈に属し、上流部は山地、丘陵が卓越する地域である。
中流域のアラバマ州付近60q区間には、勾配1/1000、深さ0.92mの急流地域があり
航行にとっては 「煮え立つ鍋」と称される難所が存在した。

このような河川航行への重大な支障もあり、テネシー川流域はアメリカ東部でも貧困な土地であった。
農家100件当たりの電気使用率は3%に過ぎず、流域の早急な開発が叫ばれていた。

1824年、連邦議会によって流域の運河による舟運路の整備が立法化され、
陸軍工兵隊の派遣、水運改善費が予算建てされたが根本的な解決には至らなかった。
堰堤による水深確保と水力発電が連邦議会で構想されたが、これも具体的な成果とはならなかった。

その後、1914年の第一次大戦勃発による硝石輸入路の断絶を懸念し、
大陸の奥深いテネシー川流域が国防上も有効とされ、未開の包蔵水力も相まって、
付近のダム建設による電力確保と硝酸塩大規模工場の建設が画策された。

ところが1919年の世界大戦終結までにこの事業は完成し得ず、
予算支出は停止、建設途中の施設群は民間委託される。

1929年の株価大暴落に端を発する世界恐慌の渦中、
1933年に大統領に就任したF.ルーズベルトは 「ニューディール政策」新規巻き直しを意味する、銀行・通貨の統制や農業調整、産業振興などを軸とする経済危機克服政策 を推進し、
公共投資による雇用創出と共にテネシー川流域開発公社、TVA法(The Tcnncsscc Valley Authority Act)の設立を行った。

これは立法をもってテネシー川流域の水運改善・治水管理・ダム建設による電源創出を進め、
付近の適切な利用によって雇用を確保する独立採算制の政府企業体である。
1960年までに48か所のダムが建設され1,200万kWhの電力を確保、農村の工業化に貢献した。


今回訪れた発電所付近はかつて22か所の鉱山が犇めいていた地域である。
流域の開発は昭和24年(1949)に遡り、道民を事業主体とする
「水力整備を含めた農山漁業での電化事業」として助成が行われた 言わばTVAを儀範としたプロジェクトとなる。


北の片隅のTVA。
発電所の遺構とその機能、 垣間見える理想郷への夢。
鉱山跡とは趣の異なる廃祉に向かってみよう。





ルーズベルト・宮沢賢治・上水槽・・・


廃橋跡
廃橋跡



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