小玉川鉱山跡 探検: 北の細道 小玉川鉱山

小玉川鉱山でからみを踏む


岩手県軽米町

   「趨勢」(すうぜい)とは社会や物事が移り進んでゆく様子のことであり、
その勢いや成り行き、動向など全体の流れのことを言う。

一国の鉱業の趨勢はその国力の盛衰を意味し、
またその時代の世界情勢によって著しく変化する。

例えば金属鉱業においては、昭和9年(1934)から昭和10年にかけて、
年々45度の放物線で上昇推移していたものが、
戦局が迫る昭和16年(1941)には急激に75度の上昇カーブに転じ、
昭和19年(1944)には基準の200%の指数に達した。
しかしこれを再頂点として、敗戦の昭和20年(1945)には基準の50%にまで下降した。

この趨勢は炭鉱分野でもほぼ同じで、特に戦後における石炭の増産は金属鉱業を凌ぎ、
昭和25年(1950)には基準指数に復帰、昭和29年(1954)には過剰の生産となる。

昭和28年(1953)の鉱業出願件数は合計1,600件に及び、
精錬や運搬など付随する全事業所は3,150か所となり、
鉱山関係労働者数は51万人に達する。
当時の年間探鉱坑道延長距離は420qに及び、これは東京ー関ヶ原の距離に匹敵する。

実際の全国鉱山数においても昭和27年(1952)753か所、昭和29年(1954)676か所、昭和34年(1959)650か所と、
昭和30年(1955)ののべ鉱山数は1262か所にのぼる。
これは一鉱山で複数鉱種を採掘している場合に、重複カウントされており、
これに炭鉱数が昭和32年(1957)784か所、昭和35年(1960)622か所と加算される。
(※資料は通産省官房調査統計部編 本邦鉱業の趨勢による)


今回訪れた鉱山跡はかつて満俺(マンガン)を採掘していた鉱床だ。
昭和43年(1968)から精鉱が生産され、昭和50年代に閉山したとされる比較的新しい鉱山だ。
恐らく大きな遺構もなく、小鉱山の域は出ない予想だが、
鉱床図では4か所に分散した鉱区が記されている。




鉱山事務所・からみ・坑口・・・


鉱山事務所跡
鉱山事務所跡



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