仁倉鉱山 中ノ沢鉱床跡 探検: 北の細道 仁倉鉱山

仁倉鉱山で満俺の語源に迫る




北海道常呂町

   ガラス製造は5,000年の歴史をもつ高温化学だ。
同様に色ガラスの歴史も古く、原料の珪酸塩にコバルトを添加すれば青ガラスに、
金や銅のコロイド粒子添加でルビーレッド、逆にマンガンを添加すれば無色化・純化する。

1540年代には溶融せず金属の製造には使用できないとされたマンガンも、
ガラスの透明化という付加価値があり、軟マンガン鉱は『ガラスの石鹸』と呼ばれることとなった。

当時はマンガンという呼び名は無く、ドイツ語『ブラウンシュタイン』と呼ばれ、
やがて炉による還元法が確立すると、金属の添加剤としての有効性が確認される。
しかしその新金属の命名はなかなか同意に至らなかった。
ガラスの無色化から、浄化や魔法のギリシア語を語源とする、
『マンガネシウム』、『マンガ二ウム』などの曲折を経て、
ベルリンの科学者の提案によりマンガンに終結する。


仁倉鉱山 蛇ノ沢鉱床は以前に公開したが、
今回は更にその奥の中ノ沢鉱床へのアタックだ。

大正年間より常呂町仁倉南東部には鉄、マンガンの鉱脈があるとされ、
かなりの探鉱が試みられたが、河床から鉱脈潜在が認められた程度であった。
昭和14年(1939)に仁倉鉱山として開坑されたものの第二次大戦終戦と共に休山、
再び昭和28年(1953)から32年頃が最盛期となり、月産2,000t、労務者60名に達する。
しかし昭和37年(1962)頃から鉱脈が底をつき、39年(1964)7月、20数年間の歴史に幕を閉じる。

雪の残る5月、最奥の鉱床を目指し入山する。




試掘坑・祠・男性名詞・・・


鉱床
中ノ沢鉱床



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