御真影のあるべき場所
まずは一本の林道を遡る。
最後の集落からは10q程の山中だ。
林道も使用者は稀のようでほどほどに荒れている。
林道脇には朽ち果てた木橋がある。
軌道の記録はないので、
恐らく旧道の廃橋跡のようだ。
林道を外れて旧鉱山道路の成れの果てを行く。
付近には集落が存在し、
旅館や呉服屋も軒を連ねていたことが驚きだ。
廃道を進むと墓石のような人工物がある。
昭和の初めには閉山したとの記録があるが、
小学校も開校されていたらしい。
1qほど登ると、そこには平場があり、
RC製の遺構がある。
これはどうやら積込施設のようだ。
蔦に絡む遺跡のような廃祉。
もしかすると山元まで軌道が存在したのかもしれない。
更に山中へ進む。
レールが朽ちて埋没している。
軌道敷があった期間が恐らく短く、
鉱床図にも記載されなかったのかもしれない。
一部、広大な荒地がある。
鉱山事務所や郵便局、
舞台を備えた娯楽施設もあったという。
その奥には石垣を備えた一角がある。
銅は電気と熱の伝導率が高く、
電線や熱交換材に使用されることが多い。
また各種金属との合金融合性が高く、
延び、耐食性に優れ殺菌の効果もある。
冷凍機やパイプ、ドアノブや屋根材にも使用される。
山の斜面に沿った遺構。これは選鉱所の廃墟だ。
製錬前に採掘した鉱石を潰し粒度を揃え、
不要部分と鉱石部分を分離する工場跡だ。
一般に銅の品位は0.5〜2%と低く、
まずは浮遊選鉱を行い銅の濃縮を行う。
第一段階は鉱石を30〜70ミクロンまで粉砕する。
浮選剤と呼ばれる薬品を添加した水中に気泡を吹き込むと、
不要な酸化物は底に沈み、銅を含む硫化物は気泡にくっついて、
液表面に浮かび上がる。
この浮遊した粒子は『銅精鉱』と呼ばれ、
銅品位は30%にまで濃縮されている。
この状態で新居浜や佐賀関、小坂の精錬所に鉱送される。
選鉱所はかなりの規模であったようだ。
銅の製錬には火力(炉)を使う乾式製錬と、
硫酸や電解を用いる湿式製錬がある。
乾式製錬では銅精鉱を熱で溶かし、
反応でできた酸化鉄(FeO)や硅石(SiO2)ぱ(=スラグ(からみ))となり、
銅は鉄や硫黄とハ(=マット(かわ))を生成する。
一方、湿式製錬は希硫酸に鉱石を溶かし、
その溶液中に浸出した銅成分を、
電気化学的方法により還元して抽出する方法である。
これは学校の正門の廃墟のようだ。
小学校が付近に2か所あり、
その児童数も600名と相当だったようだ。
小学校付近に残る煉瓦製の遺構。
現地では火薬庫かと錯覚したが、後の机上調査によりこれは、
「御真影」第二次大戦まで宮内省から貸与した天皇・皇后の写真
の安置場所であった。
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