銅鉱山跡  探検: 北の細道 Bk鉱山

Bk鉱山の精錬所で彷徨する




 日本の地下資源の埋蔵量、これは国力の判断材料ともなり、
それを割り出すのはまた困難な問題である。

昭和20年後半には石炭はあと50年で枯渇と言われつつ、
過ぎてみれば今なお50年分以上の埋蔵があるとされている。
時代の変化と共に採掘法も著しく異なり、
当時採掘不能であった深部の資源も、技術進歩により稼行対象となり得る。
つまりその時代の調査方法、採掘技術により埋蔵鉱量は刻々と変化する。


昭和26年(1951)4月1日現在で、通産省が現行785鉱山を対象として、
金・銅などの鉱量12品目について、
日本工業規格鉱量計算基準(JIS M 1001)に基づいた調査を行った経緯があり
その結果は以下となる。

硫黄鉱2億2,600万tを初め、銅鉱7,500万t、鉄鉱6,600万t、鉛・亜鉛鉱4,400万t、
金鉱3,900万t、硫化鉄鉱3,000万tとなり日本の地下資源は必ずしも、
質・量と共に海外に劣っているとは言えない状況が確認された。

仮に昭和29年(1954)鉱山産出実績からこの埋蔵量を割り戻すと、
銅16年、亜鉛20年、鉛24年、鉄20年、マンガン35年分の埋蔵実績があることとなる。


今回訪れた鉱山跡は銅鉱を中心に昭和39年(1964)まで採掘していた歴史がある。
地形図では谷あいに平坦な荒地が続き、
その周辺に遺構があると推論しヤマに入る。



精錬所・遺構・墓石・・・



廃祉
廃祉





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