炭マンvs珪マン



標高300mを超えると、
なだらかながら、かなりの山中になる。
不確かな路を進む。 登山


アプローチから笹薮の廃道だ。
しかし辛うじての鉱山道路の名残は有り、
完全廃道とは言えない。 廃道


資料には鉱山からの鉱石搬出方法の記述は無いが、
起伏から言っても索道ではなく、
この鉱山道路を利用したのだろう。 鉱山道路


廃道は続く。
マンガンは鉱床の成因から、
40種以上の鉱物に分かれる。 廃道


2qほど登ると、そこにはズリのような鉱石が散乱する。
マンガン鉱は明治の初年頃には鉱石のままの輸出がはじまり、
この時重宝されたのは素材としての金属鉱である酸化マンガンと呼ばれるものであった。 鉱石


坑口のような怪しい箇所もある。
やがて第一次大戦と共に製鉄所が繁栄し要求されたのは、
「炭マン」菱マンガン鉱(MnCO3)を主とする鉱石 と呼ばれる合金用原料に移行する。 坑口


小範囲だが建物跡らしき平場もある。
第一次大戦後の不況の波は世界的な鉱石需要減と、
ダンピングによる価格低迷をもたらす。 平場



斜面に何か遺構がある。
昭和7年(1932)の満州事変勃発は、
再びマンガン鉱の需要を加速させる。 鉱山事務所


これはスレートの小屋のようで、
鉱山事務所の一部か、
危険庫や資材庫の跡のようだ。 遺構


付近には他の廃祉も散乱する。
太平洋戦争に至るころには更に増産を要求されたが、
鉱石品位の低下が実増産に歯止めをかけることとなる。 廃祉


遥か谷間に平場がある。
地形的にも坑口や施設のあった一角かも知れず、
注意して下降する。 下降


下った平場にはRC製の遺構がある。
第二次大戦から外需されたのはこれまでの炭マンに代わり、
いわゆる低品位鉱である珪マンとなる。 遺跡


付近は積出設備の一角のようだ。
珪酸マンガンは低品位ながらその鉱量は多く、
製錬方法などの確立によりその採鉱価値が高められた。 積出設備


斜面に残存するこれまでで最大の遺構だ。
企業化された鉱山であり、
あとは大切坑 と呼ばれた坑口の探索だ。 鉱山遺構


斜面を少し登ると黒く口を開ける穴が有る。
逆光の中の坑口に到達だ。
いつもの腐食した木々の甘い匂いとは違う臭気が漂う。 坑口


上部にRC製の坑門がある。
かつてのマンガン鉱床は地面から露頭が存在し、
無数のマンガン鉱床が地表に露出していた。 大切坑


坑道内部は旧いグリスのような若干の異臭がある。
酸素濃度、爆発性ガス、一酸化炭素についても問題がないので
少し入坑する。 坑道


内部は数mで埋没しており産廃が散乱する、
地表付近の鉱床を採掘しつくした後、
国産鉱石が世界に太刀打ちできない期間があったのである。 坑道


軍需による要求とその時代背景、掘りつくした露頭から深部への採掘、
酸化マンガン、炭酸マンガン、珪酸マンガンとその特異性が
我が国のマンガン鉱業の特質であった。 廃祉


戦争の影響と要求される鉱種や品位の遷移。
低迷期間における焙焼などの品位向上や採掘技術の研究は、
当時のマンガン鉱石消費工業の確立の基礎を固めた歴史がある。 廃祉







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廃道
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