Bi鉱山 配水場跡  探検: 北の細道 Bi鉱山 浄水場

Bi鉱山 配水場で水神に逢う



北海道某所


 日本の近代的上水道施設は、明治20年(1887)横浜市で最初に建設されたもので、
北海道では明治21年(1888)に函館市が給水人口6万人を対象に 施設を設けたのが最初である。

一般に水道はダムや河川などの取水設備から沈砂を経て、
導水管などにより着水井(ちゃくすいせい)と呼ばれる水量を調整するタンクに導入される。

その後、薬品混和池や沈殿池を通り、薬剤で土砂を吸着固形化して取り除く。
それでも捕りきれない小さな汚れは、ろ過池で砂や砂利の層を通過させ、
清水を得ることができる。

その後は安定供給のために配水池と呼ばれるタンクに保管、
そこから時間帯や水の使用量に関わらず、一定の圧力で家庭に送水するのが、
配水場と言われる施設だ。

配水場を高所に作れば、そこまでの給水にはポンプが必要となるが、
各家庭に向けては重力による自由落下を用いて供給できる。


鉱山の開坑当時は、付近の谷間の水を堰き止め、
また河川の水を飲料や生活用水として利用していた。

ところが急激な鉱山の発展による人口増により、
鉱業施設や鉱山住宅の建設ラッシュが起こり、
原始的な上下水施設では断水や供給不足が発生することとなる。

火災や衛生面からも上水道施設は必要不可欠なもので、
鉱山の発展と共にダムによる水源地の確保やその供給設備は、
何度もの拡充を経て、大規模なものとなっていく。


今回は小高い山の上に建設された上水道の配水池施設の探索だ。
但し、アクセスが非常に危険であり、内部の崩壊も著しいため、
場所については伏せさせて頂く。
昭和時代の閉山と共に棄てられた廃祉を、 追ってみよう。

タンク・ポンプ・配管・・・



坑口
( ̄u ̄;)坑口





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