At鉱山跡  探検: 北の細道 At鉱山

At鉱山で飛泉の陰に到達する


坑内

北海道某所

   秋田県には鉱山が多数あり、ある伝説が南部叢書第四巻の
『祐清私記』(ゆうせいしき)に記されている。
慶長三年(1598)に南部藩が秋田藩との境界を明白するために派遣した奉行が、
田畑の管理で困惑していた地元老婆の土地問題解消の手助けをした。

翌日、老婆はお礼に自分の畑の山芋を奉行に持参した。
山芋には光る物資が付着しており、後にこれが砂金であると判明した。

奉行は砂金のことは伏せ、山芋の味が格別なので、
その土地を売ってくれと老婆に数十貫の銅を進呈、
老婆は知らずに快くその土地を手放してしまう。

奉行はその後、周辺で山芋を掘らせ、土ごと俵に詰めて奉行所に運ばせた。
周辺の土地の者はそれとは知らず、 大変芋好きのお奉行様だと噂し、
そちらこちらの山から芋を掘っては献上した。

奉行は砂金の事はひた隠しにし、芋を洗っては味が落ちると、
土ごと奉行所に運ばせ、近隣山中の表土砂金の有無を、
奉行所にいながら徹底調査し、同時に砂金の採取も行ったという。

これが古今未曾有の『山芋探鉱法』である。


今回到達した坑道は硫黄・金鉱床が犇めく一帯に存在し、
昭和12年(1937)頃から昭和18年6月まで硫化鉄鉱床として企業採掘が行われた。
一旦休山の後、戦後再び採掘を開始、年産3,000〜4,000tの硫化鉄鉱石を鉱送後、
昭和34年に閉山に至っている。


存在する坑道は大変山深く、長時間の沢登りを経て到達するため、
場所については伏せさせていただく。
なお本坑については多数の方からの情報により場所の特定に至った。
この場を借りてお礼を申し上げます。


汚泥・坑内分岐・坑内滝・・・





コウモリ
( ̄u ̄;)飛泉





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