炭鉱病院の鎮火


雄別炭鉱病院は2階一部3階建ての近代的な建物だ。
最大の特徴は中央から『く』の字型に建てられたことで、
後部中央回り斜廊により重症入院患者も階段を登ることなく移動できたという。 病院


病院の沢を挟んだ向かい側には、
大きな坑口浴場が残っている。
楕円の大きな浴槽が数個、森に還っている。 浴場


浴場のすぐ上部付近には雄別通洞の遺構が見られる。
分散していた坑口を一つにまとめることを目的とし、
それに伴い、電気・溶接・営繕・修理などの各工場も付近に集約された。 雄別通洞


通洞から当時『雄渓平沢』と呼ばれた、一本の沢を登る。
辛うじて林道のような路盤が見えるが、
ほぼ廃道状態だ。 廃道


花の咲く5月の廃道を歩く。
当時鉱区は85か所にのぼり、
範囲は23haを上回る面積であった。 花


暫く登ると、森の奥に人工物が見える。
ゲートのあるトンネルのような存在だ。
この位置から奥は見えない。 ゲート


付近は人工的に盛られた土留めが囲っており、
その一角に鉄製の扉と人道のトンネルがある。
これは恐らく防爆のための施設だ。 土留め


盛土を潜るトンネルを抜けると、
その奥には比較的大きい施設がある。
建屋の周囲には盛土が続く。 火薬庫



これは坑道採掘用の火薬庫の廃祉だ。
トンネルのある盛土で囲まれた施設は、
万が一の爆発時の被害を最小限に食い止める目的がある。 火薬庫


火薬庫の少し離れた脇には、
雷管庫が辛うじて残る。
土留め・火薬庫・雷管庫・火工所はセットで残存していることが多い。 雷管庫


火薬庫の扉は厚みのある重厚な鋼製だ。
ここでも防爆を目的としているのだろう。
火薬取締法によりその規定は細かく定められている 火薬庫


内部の天井は抜け落ち、酷く劣化している。
扱う火薬の量・期間により、1級、2級、3級など8種類の段階的な規定がある。
それにより最大貯蔵量、および安全地帯の幅(保安距離)などが定められている。 火薬取締法


多量の火薬類を長期間貯蔵する恒久的な1級火薬庫(火薬40t,爆薬20t)、
工事などで一時的に保管される2級火薬庫(火薬20t,爆薬10t)、
販売業者が設ける3級火薬庫(火薬50kg,爆薬25kg)などがある。 火薬


火薬庫から更に別の廃道を登る。
ルートはGPSで確認しながら登る。
道の痕跡のように見えても、それは斜面で行きどまることも多い。 廃道


沢に沿って登坂する。
この沢は水量と幅に違和感がある。
つまり幅の割に水量が非常に少ない。 沢


30分程度登坂すると、
大きな人工物が現れる。
これは総排気坑口の遺構だ。 排気坑道


坑口には扇風機などを設置していたアンカーボルトもある。
元々は採炭鉱口であったものを、
昭和31年以降に排気坑道として流用したのだ。 坑口


内部はすぐに90度折れ曲がり、
20m程RC造の覆工が続く。
この部分は後に増設されたもののようだ。 風洞


やがて煉瓦製の坑道となり、
その奥で激しく埋没している。
レンガ部分が大正・昭和初期の中ノ沢坑時代の遺構だ。 煉瓦


レンガの坑口部分、そしてコンクリート製の巻き立て部分。
大正・昭和初期の遺構と、
昭和31年以降の増設部分が融合している。 融合


総排気坑口を背にして、急激な斜面を登る。
ここからは雄渓平沢に向けての尾根越えだ。
全くの道なきルートだ。 尾根越え


斜面に沿って、傾斜の長い尾根道を進む。
方向は見失わないように、
ショートカットルートを進む。 ルート


40分程度で再び雄渓平沢の最上流域に出た。
鋼製の部材が残る沢に水は全くない。
ここでも沢に違和感がある。 雄渓平沢


排気坑口から直線で950m上流付近。
ここからは下流に無かった沢の水の流れがある。
恐らく沢水は下流で地下水として坑道に流れこんでいるのではないだろうか。 沢水


森の奥に何か人工物がある。
付近は一斜坑風洞昇坑口の近隣だ。
沢を超えて機械に近づく。 一斜坑風洞昇坑口


これは排気扇風機のファンの部分だ。
ここに電動機が接続され、
排気坑口から空気を吸いだしていたのだ。 扇風機


ピローで渡したシャフトにカップリングが残る。
写真左側にモーターが機械的に連結され、
シャフトを介して右側のカバー内の羽を回したのだ。 カップリング


完全な形で残るシロッコファンだ。
シロッコは多翼の静圧送風機で、プロペラに比較し音が静か、
天候に左右されにくく、ダクト(通風路)を通じて排気する。 シロッコファン


シロッコファンに残る銘板には『FT108』の刻印がある。
雄別鉱業所の文字も歴然と残る。
周辺を探索したが、一斜坑風洞昇坑口は発見できなかった。 銘板


付近には手動開閉器、つまりスイッチがある。
1955年(昭和30年)製の恐らく絶縁油入の、
電気回路の開閉を行う装置だ。 マウスon 手動開閉器


昭和43年の雄別炭鉱病院火災の時は、
その消火のために、
すぐ近隣の坑口浴場のお湯を水源として放水、ほどなく鎮火に至ったそうだ。 シロッコファン










戻る

坑口浴場
坑口浴場

トップページへ